レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2005年03月30日
- 登録日時
- 2006/03/30 10:12
- 更新日時
- 2007/03/25 16:01
- 管理番号
- 地-050006
- 質問
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解決
「鶴岡八幡宮寺修法」という史料が見たい。そこには、元亨元年に親玄という僧が鎌倉の永福寺の別当であったという記録があるらしい。
- 回答
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「鶴岡八幡宮寺修法」とは史料の名前ではなく、鶴岡八幡宮で行われた行事のことである。
『鶴岡社務記録』(鶴岡叢書第2輯 鶴岡八幡宮社務所発行 1978年)の元亨元年(1321)の部分に記述があり、これを提供。
- 回答プロセス
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まず、この史料の活字本が存在するかどうか、活字本がないとすれば、どこで原本等を所蔵しているのかなどを調べるため、『国書総目録』『古典籍総合目録』(岩波書店)にあたったが、どちらの本にもこの史料についての記載がなかった。そこで、修法とは何か『日本国語大辞典』(小学館)で調べたところ、「しゅほう…仏語。密教で、国家または個人のために、災をはらって福を祈り、あるいは怨敵降伏などのために行なう加持祈祷の作法」とあった。
このことから、「鶴岡八幡宮寺修法」とは史料名ではなく、鶴岡八幡宮で行われた行事のようなものであると考え、『鶴岡社務記録』(鶴岡叢書第2輯 鶴岡八幡宮社務所発行 1978年)を見てみることにした。『鶴岡社務記録』は、建久二年(1191)から文和四年(1355)までの重要な社務(鶴岡八幡宮の別当=長官)の編年記録で、鶴岡八幡宮の行事などを中心に記述されている。元亨元年(1321)の部分を見てみると、「元亨元年辛酉 依辛酉、於當社御修法、正月、二階堂別當僧正親玄金門鳥敏法」という、修法の記述があった。永福寺は、源頼朝が中尊寺の二階大堂・大長寿院を模して創建した大寺院で、「二階堂」とも呼ばれていたので(『鎌倉廃寺事典』 貫達人ほか著 有隣堂 1980年 )、「二階堂別當僧正親玄」とは、永福寺別当親玄のことであるとして、この『鶴岡社務記録』の記述を紹介した。
- 事前調査事項
- NDC
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- 神衹・神道史 (172 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 鶴岡八幡宮
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000028121