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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000243347
提供館
(Library)
愛媛県立図書館 (2110043)管理番号
(Control number)
2018-21
事例作成日
(Creation date)
2018年06月15日登録日時
(Registration date)
2018年10月04日 17時50分更新日時
(Last update)
2019年01月23日 11時04分
質問
(Question)
後藤朝太郎についての資料はあるか。(特に松山中学校時代)
回答
(Answer)
後藤朝太郎の松山中学在学中の資料について、松山中学校友会誌『保恵会誌』の当館資料(現物及びデジタルデータ)を調べたが、該当の資料は見当たらなかった。在学・在郷期ではない文献・資料は以下のとおり。

【資料1】p55 明治33年 第8期卒業80名の中に、文学士として記載がある。

【資料2】p46-52 “娑婆の会見”(※デジタルデ-タ)。内容は哲学的な随筆文。会友(卒業生)として執筆。

【資料3】p56-59 “郷土の思ひ出”「学校時代の先生では渡部、村井の両先生は今はゐられず、」や、「寄稿を申越された旧友曽我君は小川勇、桜井忠温、大島義修、片上伸、武田豊四郎の諸君始めあの頃の友人中の友人」等の記載があり、これらの人々は松山中学時代の恩師、旧友と思われる。

【資料4】『愛媛県史』人物編 
「えひめの記憶」愛媛県生涯学習センター作成 以下のウェブページに記載あり
http://www.i-manabi.jp/system/regionals/regionals/ecode:2/57/view/7503

後藤 朝太郎 (ごとう あさたろう)
 明治14年~昭和20年(1881~1945)学者。明治14年・4月16日松山に生まれる。号は石農と呼ぶ。松山中学校から第五高等学校,東京帝国大学文科(中国語)を卒業。大陸金石史を研究するため中国へ渡ること十数回。著書には『文字の研究』『支那文化の研究』『翰墨行脚』など多数ある。昭和20年8月29日交通事故で死去. 64歳。
回答プロセス
(Answering process)
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
幼児.初等.中等教育  (376)
参考資料
(Reference materials)
【資料1】『愛媛県立松山中学校同窓会名簿』第4号(昭和11年度)愛媛媛県立松山中学校同窓会/昭和11年(1936年)発行 <当館請求記号K376.6-エヒ4>
【資料2】『保恵会誌』74号(明治34年4月) 愛媛県立松山中学校保恵会 ※デジタルデータ
【資料3】『伊予史談』100号(昭和14年12月)伊予史談会 1939
【資料4】『愛媛県史 人物編』1989年 <当館請求記号K200-31> ※ウェブページに記載あり
キーワード
(Keywords)
後藤朝太郎
松山中学
保恵会誌
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
書誌的事項調査
内容種別
(Type of subject)
郷土 人物
質問者区分
(Category of questioner)
学生
登録番号
(Registration number)
1000243347解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
未解決
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