レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009年09月16日
- 登録日時
- 2009/10/28 18:10
- 更新日時
- 2009/10/28 18:50
- 管理番号
- 福井県図-20090916
- 質問
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解決
『靖国神社誌』(明治44年)に掲載されている「福井敦賀招魂社」は敦賀の松原神社のことか。
- 回答
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福井敦賀招魂社という神社は見つからなかった。
創建年や祭神数が異なるので、松原神社のことではない。福井県内の招魂社は足羽山官祭招魂社と官祭大野招魂社の2社である。
- 回答プロセス
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1.福井県の神社史や県内各神社史をまとめた資料に『福井県神社誌』(福井神職会/発行 1936.10)がある。
この資料のp139~140に「官祭招魂社」があるが、福井県内では「足羽山官祭招魂社」「官祭大野招魂社」の二社のみ。
足羽山招魂社は祭神は12座、沿革のところには「明治三年九月、茂昭公自ら招魂祭を執行し、(中略)明治六年七月墓碑に代ふるに、社殿を以てし、慶永公霊代安鎮を執行し、始めて招魂社と称す。」とある。
大野招魂社は11名を合祀、「明治三年九月、乾側村大字下丁地籍字花山に、一小祠を建て、招魂祭を施行す。後ち七年四月十五日、旧敦賀県の許可を得て、県社篠座神社境内北隅に移転せり。」とある。
2.『福井県史 第3冊第3編』(福井県/編 福井県史復刻刊行会 1970)p459-460に県内の神社統計(明治14~大正8年)が掲載されている。これによると、招魂社数は明治14は2、明治20,25,30は1、明治35以降は数が載ってない。
3.『官祭招魂社官修墳墓明細帳』という文書を当館で所蔵している(複写製本あり)。
これには「足羽山招魂社」と「大野招魂社」の二社の由緒、祭神等が書かれている。
4.松原神社の沿革
『福井県神社誌』(1936)、『敦賀郡神社誌』、『松原神社祭神事歴』によると、松原神社は明治7年に神社設立を申請して明治8年に承認された無格社。
上記のことと、典拠資料としてあげられていた『靖国神社誌』(M44)をすり合わせると、「福井敦賀招魂社」は、もしかして「足羽山招魂社」をさすのかもしれない。祭神数が一致している。創立年代については不明な点もあるが、招魂祭を執り行った年月は一致する。
また、『靖国神社誌』の一覧では、まず県名があり、そのあとに招魂社名となっているが、それが正式な名称なのかはわかりかねる。
福井県は明治4年の廃藩置県後、敦賀県と福井県(1ヵ月後に足羽県と改称)が成立、その後現在の行政範囲がすべて敦賀県となったり、分割して石川県や滋賀県に併合されたりして、明治14年に現在の福井県となった経緯がある。
- 事前調査事項
- NDC
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- 神社.神職 (175 8版)
- 参考資料
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- 『福井県神社誌』(福井神職会/発行 1936.10)H170/H/1
- 『福井県神社誌』(福井県神社庁/編 1994.9)H170/H6/1
- 『敦賀郡神社誌』(福井県神職会敦賀支部/編 1933)H175/H/1
- 『福井県護国神社五十年史』(福井県護国神社社務所 1992.10)H170/H5/1
- 『福井県史 第3冊第3編県治時代』(福井県 1922.4) H201/H/1-3-2
- [県立図書館本]官祭招魂社官修墳墓明細帳(大正7年) H170/Z19/1
- 『松原神社祭神事歴』(藤井貞文/著 水戸烈士遺徳顕彰会 1968)H175/H2/1
- 近代デジタルライブラリー http://kindai.ndl.go.jp/
- キーワード
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- 神社
- 招魂社
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 学生
- 登録番号
- 1000059060