レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008.1.18
- 登録日時
- 2008/01/18 17:55
- 更新日時
- 2019/03/08 14:31
- 管理番号
- 宮崎県立般149
- 質問
-
解決
高鍋藩の千手八太郎について知りたい。
- 回答
-
①『宮崎県大百科』(宮崎日日新聞/編・発行)には「千手興欽(せんじゅこうきん)」の項に、本姓が三浦氏で、はじめ「興譲」といい、通称剛之進、のち八太郎、廉斎と号したとある。p526
②自館のOPAC検索では、『千手八太郎の生涯と自求録 江戸時代中期の高鍋藩政と藩学』(永井哲雄/著 高鍋町教育委員会/発行 pp128)(M書庫219634/29)がヒットする。
これには、千手八太郎の一生についてのほか、高鍋藩の17世紀ごろから見える「存寄(ぞんじより)」という人材育成発掘方法についての記載があり、積極的に藩政にたいして献言(意見の具申)や献策をさせる「下意上聞」の体制と出された献策に対し適否をすぐ検討し、すぐれたものを採用実施する風のあったことがわかる。
③『三百藩家臣人名事典7』(新人物往来社 1989年)(参考調査2105/368-7)によれば、藩主秋月種美・種茂・種徳・種任に仕えた高鍋藩儒で、藩校明倫堂大綱をつくった人物とある。p486
④『高鍋藩史』の明倫堂の創立に関する項に、千手八太郎が稽古所で経書の講義を行っていたこと、学校建設について進言(存寄)した内容、創立時の学校建設担当役人、その後師範となったことなどについての記載がある。p236~p239
⑤自館のOPAC検索では、『宮崎県地方史研究紀要』(宮崎県立図書館/編・刊行 平成18年)の第32輯に、高鍋史友会の飛田博温による「藩校教育と千住八太郎」がヒットする。(p31-43)千手八太郎についてはp36-37に記述がある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 九州地方 (219)
- 参考資料
-
- 『三百藩家臣人名事典7』(新人物往来社 1989年)(参考調査2105/368-7)
- キーワード
-
- 千手八太郎
- 明倫堂
- 高鍋藩
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 学生
- 登録番号
- 1000041082