レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/03/06
- 登録日時
- 2015/02/14 00:30
- 更新日時
- 2015/02/14 00:30
- 管理番号
- 6001006994
- 質問
-
未解決
大阪の北摂能勢の郷土食、伝統食、行事食のレシピ、そのいわれ等に関する資料はありますか。
・正月の雑煮で里芋の小芋ではなく親芋をいれるのはなぜか。
・雛人形を飾る際、生のカレイ(魚)で、しかも10cm位をお供えするらしいが、その意味は。
・12月1日にあずきごはんを炊くいわれ。
・12月1日になすびの古漬けを烏がなくまでに食べないと川にはまる(浮かんでこない)のいわれ。
- 回答
-
残念ながら、事前調査で確認されている資料より詳しいレシピが書かれている資料はみつかりませんでした。
いわれを書かれていた資料も少ないのですが、お尋ねの内容が書かれていた資料と共に、以下に列記させていただきます。
(【 】内は、当館の請求記号です。)
・『能勢町史 第5巻 資料編』能勢町 1985 【216.3/97N/5】
p.179-192 「食」 特になし
p.385 「雑煮 里芋の親がしら(頭梁)、大根の丸煮(円満)、豆腐、餅を味噌で煮る。・・・」
「頭梁」という言葉は、広辞苑や大漢和辞典を調べても出てきませんでしたが、おそらく頭領や棟梁のことだと思われます。
p.400 「四月 ひな節句(三月) ひな人形を飾り、紅白青のひし餅のほかにヨモギ、キビのひし餅を造り、白酒とともにひな檀に供え、神仏にも供える。・・・」
こちらには、カレイのことは出てきませんでした。
p.424 「十二月 おとごついたち(一日) 小豆御飯にナスの漬物をそえて、カラスが鳴かないうちに食べると、川に溺れないという。」
・『旅と伝説 第11巻』 岩崎美術社 1978 【雑/2619】
第6年第4月号 p.74-80 「豊能郡の年中行事」大阪府豊能郡田尻村下田尻中村 洞繁太郎
「一月 一日。 その年のあき方の方の出口を開けて若水をくみ、そして雑煮を祝ふ。雑煮は味噌汁の雑煮でこれを祝ふのは、一月一日、舊一月一日立春の日のみ。二日三日は米の飯。夜はうんの強いやうにと、とろろとて丸芋と味噌とをすり合はした物を食ふ。正月三日間の干支の生れ年の者は、何なりと頭のある肴を副へて祝ふ。例へば元日が午の日なら、午の年の者が祝ひ、二日は未の年の者三日は申の年の者といふ風に。・・・」
「四月 三日。 のべ節句とて、菱餅を供へて雛祭をする。酒に桃をさして供へる。一週間程前より雛を出し、仕末して、なをすのは四日の早朝である。内裏雛をおそくしまふ時は縁談がおくれるとて戒める。」
「十二月 一日。 オトモツイタチ。夜の明けるまでに起きて茄子の漬物で小豆飯を食ふ。烏の鳴くのより、おくれると河へはまると云ふ。」
・『大阪府豊能郡西能勢村正月風俗(生活文化研究別冊)』森本弌[ほか]著 大阪教育大学家政学研究会 1954 【386.1/86N】
p.162 「雑煮 【宿野】大根・豆腐・鰹ぶし・餅。【大里】大根・焼豆腐・小芋(親頭も一所に)・小餅。家により人参も。結い昆布2つ。之が当る人は縁起よろし。白みそ汁。家により元日丈、又は3ケ日祝う。元日の雑煮。三ケ日の御飯、7日のオミ、この5者はまず門松の葉につけ、然るのち人が祝う。【長谷】大根・白豆腐・ウダ芋(頭芋)削かつを・小餅。赤みそ汁。豆木で焚く。元日限り。尚、雑煮や煮〆など一通りに牛にもやる。【上山辺】大根・小芋・頭芋・小餅。みそ汁。神棚・年徳さん、仏壇などに供え、然る後一同アイサツして頂く。【下山辺】大根・人参・白豆腐・頭芋・餅。」
「生活文化研究」の第1号には、西能勢の衣食住の論文が掲載されているようです。
あいにく、当館では所蔵していないので、内容は未確認ですが、大阪教育大学の図書館で所蔵されているようです。
http://ir.lib.osaka-kyoiku.ac.jp/dspace/bitstream/123456789/12794/1/seibuk_1_mo.pdf
・『大阪民俗談話会会報 第2号』1940【571/441/#】
p.14 「オトコノツイタチ 郷村では十二月一日をいふ。この朝烏の啼かん間に小豆飯に味噌に漬けた茄子を添へて食べる。小さく四角に切ったヒトクチナスである。昔女の子に小用さすときに「ネブツタツテくれ、大きくなつたら嫁にやる」と犬に言つて娘を育てゝゐたが、その子が大きくなつて嫁入りするときに犬が籠について啼いて離れなかつた。そこでこれも縁であるといふて娘を犬の嫁にやり、山奥に家を建てゝ二人を住ました。犬はよく働いて小判をくはへて来て嫁を養つてゐた。そこへジャコ売りが泊めてくれといつてやつて来て女をチヨロマカシ、女を高い所へ隠しといたので、犬がいつかな怒り、とうとう腹を立てゝ死んだ。それからそのジャコ売りの子が三人生れ、それから七人の子も出来て、仲よくしてゐたが、犬の恨みが乗り移つたのか、女がヒトクチナスビを庖丁の先につけて男に食はせて突き殺した。その時男が「七人コの親なれど、妻に心を許されん」といつた。それで烏の啼かん間にヒトクチナスを食ふのだというふ。」(山田隆夫)
・『47都道府県・伝統食百科』成瀬宇平著 丸善 2009 【383.8/721N】
p.307 大阪府の郷土料理として、乙子餅(乙子朔日)が上がっています。
・『日本の民俗 27 大阪』高谷重夫著 第一法規 1977 【571/707/#】
p.81 「大阪府の最北端能勢町天王では同姓の集団をカブとよび、一一のカブがある。・・・中島カブでは一二月にトタテマツといって、各戸重箱一杯のあずき飯を年番の家に持ち寄り、互いに分けあって食べたという。」
p.234 「おとごついたち 一二月一日、この日氏神に参る土地が多い。能勢町・池田市などでは烏の鳴かぬうちに起きてボタモチ・茄子の漬け物を食うと水に溺れぬという。」
・『日本年中行事辞典 角川小辞典』 鈴木棠三[著] 角川書店 1980 【575/295/#】
p.659- 「乙子(おとご)の朔日(ついたち) 乙子月の朔日(正月を太郎月と呼ぶのに対し、末子の月の意味で十二月の異名を乙子月という。なお、太郎月に対する次郎月は、二月と十二月とのどちらをもいう)。年間最後の朔日というところから、十二月朔日を特に重く考えたのであろう。この日に餅を祝食するいわれとして、水難をまぬがれるためといっている所が多いのは、水難に関係の少ない季節であるため、理由を解しがたいが、川祭りの日としての信仰であることは疑いない。十二月を陰の極まる月として、水を祭るということであったとも考えられる。これを六月一日の川祭りに対応する祝日と考えるのは、やや根拠が薄弱の感もあるが、六月と十二月とに同じ祭事を繰り返す例は他にも多いから、まったく理由のないこととは思われない。この日、餅をついて祝うという所は多く、和歌山市などで乙子の餅といって売りに来たのは、白い餅と餡餅とを組みにしたもの、秋田県平鹿郡では、小豆餅を乙子の餅といって、これを食べると水難をまぬがれるなどという。十二月一日を川浸りの朔日などという風は、関東およびその近接地方にあり、その日の餅をカビタレモチ、川流れの餅などというから、その俗信が乙子の餅に結び付いたものである。だいたいに、東国の川浸りの朔日に対して、西国で乙子の朔日という傾向が見られる。・・・京都府中郡でも乙子の朔日には烏の鳴かぬ早朝、漬け茄子と酒粕とカリン(果実)を食べる習慣の所があり、これを「なす貸す借りん」という。茄子は返済の意味のナスに通じ、粕は貸すである。この地方でも、芋飯を炊いて末子を慰める日とする。」
・『旅と伝説 第13巻』 岩崎美術社 1978 【雑/2619】
第7年第2号 p.57 「年中行事調査標目(10)」柳田國男 「七二、河渡り朔日 オトゴノツイタチ 此日を乙子の朔日といふ例は河内近江紀伊、また九州にも處々にある。乙子は末子の意で正月のから朔日、二月の次郎朔日に對するまでの語であらうが、其名の為に小児には親しみがある。・・・」
・『大阪府下年中行事集』南要編 和泉郷土研究會 1939 【575/8/#】
p.1 「十二月 1.オトゴツイタチ(十二月一日) 摂津西能勢村、田尻村では早朝にぼたもちを神様に供へ茄子の漬物を食すと川にはまらぬと。」
ご参考までに上記以外に調査した資料を挙げておきます。
・『大阪府の民俗資料 1 民俗資料緊急調査 』大阪府文化財調査報告書 大阪府教育委員会 1968 【571/1373/#】
東能勢村木代、能勢町長谷、能勢町宿野について、毎日の食事、社会生活、一生の儀礼、年中行事、祭りなどについて調査された報告書ですが、特に記述はありませんでした。
・『大阪府豊能郡東能勢村誌』森純一編纂 豊能町教育委員会 1992 【291.63/79N】
・『能勢の昔と今』森本弌著 詩画工房 1990 【216.3/27N】
・『能勢の歴史と文化』能勢町 1977 【709.1/78N】
・『あまから手帖 第9巻3号』 2004 クリエテ関西【P59/9N/】
P.26-29 「食いしん坊の日帰り旅 大阪・能勢」
・『今も伝わる大阪のごはんとおかず』宮本智恵子編著 創元社 1984 【596.1/44】
・『味-関西と食文化 その1:市民・識者1200人の意識と意見を中心に』明治生命保険相互会社大阪総務部創業108年感謝“関西を考える”会 1989 【383.8/60N/】
・『味のシンフォニー :関西と食文化 その2』明治生命保険相互会社大阪総務部創業109年感謝“関西を考える”会 1990 【383.8/59N/】
・『伝承写真館日本の食文化 8 近畿』農山漁村文化協会 2006 【383.8/623N/8】
・『伝えてゆきたい家庭の郷土料理 第2集』全国友の会編 婦人之友社 1980 【593/2069/#】
・『全集日本の食文化 第12巻 郷土と行事の食』芳賀登監修 雄山閣出版 1999 【383.8/194N/12】
・『五節句の話』有馬敏四郎著 芸艸堂 1931 【575/63/#】
p.23-57 「上巳の節句(桃の節句)」
雛祭りについて、詳しい記述は、あるが、カレイについては、何も記述がない。
・『旅と伝説 第12巻』 岩崎美術社 1978 【雑/2619】
第6年第7月号 p.57 「年中行事調査標目(10)」柳田國男
・『旅と伝説 第21巻』 岩崎美術社 1978 【雑/2619】
第11年第5号 p.18-30 「雛祭民俗私考」山田良隆
カレイについての記述なし
・『近畿民俗 13』近畿民俗学会 1954
p.22-26 小林茂 「北摂東能勢村の年中行事と村組織」
・『近畿民俗 18』近畿民俗学会 1956
p.34-38 高谷 重夫「北摂の年末年始の祭三種
・『大阪民俗談話会会報 第6号』1940【571/441/#】
p.4-11 「北摂の山村から」山田隆夫著
・『大阪の歴史と風土 (毎日放送文化双書1)』宮本又次著 毎日放送 1973 【033/143/#】
p.513-516 「能勢」
・『大阪の風俗 (毎日放送文化双書8)』宮本又次著 毎日放送 1973 【033/143/#】
・『上方 第61号』【雑/468】
p.72-77「北摂正月行事抄」島田福雄著
・『上方 第72号』【雑/468】
p.42-45「北摂の民間伝承」岸田定雄著
・『大阪春秋 第22号』大阪春秋社 1979 【雑/2499/#】
p.58-61 高谷重夫 「北摂の民俗行事」
・『折口信夫全集 17』中央公論社 1996 【918.68/124N/17】
p.13-84 「年中行事」
p.184-187 「雛祭りのおこり」
p.188-194 「ひめなそびとひなあそびと 祟神紀より」
p.195-197 「雛祭りとお彼岸」
p.198-206 「年中行事に見えた古代生活」
p.207-213 「宵節供のゆふべに」
p.243-245 「端午と男女の節供」
・『都市の祭と民俗』宮本常一 慶友社 1961 【575/89/#】
p.150-160 「大阪府」
・『大阪年中行事資料 一』出口神暁編 和泉文化研究会 1981 【575/583/#】
・『日本祭礼風土記 2 近畿・中部 』宮本常一編集 慶友社 東京 1962 【575/145/#】
・『年中行事儀礼事典』川口/謙二ほか]共著 東京美術 1978 【575/413/#】
・『定本 柳田国男集 第1巻』柳田国男著 筑摩書房 1963 【034/185/#】
p.214 「小豆を食べる日のこと」
・『定本 柳田国男集 第13巻』柳田国男著 筑摩書房 1963 【034/185/#】
p.5-162 「年中行事覚書」
p.395-402 「小豆を食べる日」
・『定本 柳田国男集 第14巻』柳田国男著 筑摩書房 1962 【034/185/#】
p.460-473 「小豆の話」
・『雛の節句』加計明子著 2002 【914.6/6924N/カケ】
・『講座 日本の民俗 6 年中行事』 有精堂 1978 【571/957/#】
[事例作成日:平成27年1月15日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
-
『日本の食生活全集』27 農山漁村文化協会
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 大阪
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000167662