レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年01月08日
- 登録日時
- 2020/04/04 16:24
- 更新日時
- 2020/06/04 17:35
- 管理番号
- 広県図2019204
- 質問
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解決
浅田次郎著『蒼穹の昴』シリーズに登場する梁文秀(りょうぶんしゅう)のモデルになった梁啓超(りょうけいちょう)とその子孫について書かれている本(伝記のようなもの)が読みたい。
物語の中で「日本に亡命した」との記述があったが,その後中国へ帰化したのか,日本で子孫を残したのか,分かることがあれば知りたい。
- 回答
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1 梁啓超(りょうけいちょう)について(中国へ帰化したのか,日本で子孫を残したのかなど)
梁啓超に関する資料は,次のとおりです。
『梁啓超:西洋近代思想受容と明治日本 共同研究』狭間直樹/編,みすず書房,1999【289/リケ99】
分類は伝記ですが,内容は学術論文集です。
『わかりやすくおもしろい中国文学講義』九州大学中国文学会/編,中国書店,2002【920/102キ】
p.172-183 「梁啓超―打ち上げ続けた“ことばの烽火”―」若杉邦子
主に人物像や文学作品について,比較的分かりやすく書かれています。
『近代中国人名辞典』近代中国人名辞典修訂版編集委員会/編,修訂版,霞山会,2018【R282.2/118キ】
p.326-328 梁啓超
p.328 「1911年10月10日辛亥革命が起こると,翌月梁啓超は秘かに瀋陽に赴き情勢をうかがった。」「13年7月反袁第2革命後梁は熊希齢内閣の司法総長に就任したが,」「病気のため北京協和病院に入院し,29年1月死去した。」など,中国に戻ってからの記述が散見されます。
参考文献の掲載はありますが,中国語文献が中心です。日本語のものは次のとおりです。
『清代学術概論:中国のルネッサンス』梁啓超/[著],小野和子/訳注,平凡社,1974(東洋文庫245)【222/R96】
『清末政治思想研究 1』小野川秀美/著,平凡社,2009(東洋文庫 791)【311.2/109オ/1】
『清末政治思想研究 2』小野川秀美/著,平凡社,2010(東洋文庫 793)【311.2/109オ/2】
いずれも,伝記ではありませんでした。
『中国学芸大事典』近藤春雄/著,大修館書店,1980【R920.3/Ko732】
p.827 りょうけいちょう 梁啓超
『中国文化史大事典』尾崎雄二郎/編集代表,竺沙雅章/編集代表,戸川芳郎/編集代表,大修館書店,2013【R222/113オ】
p.1265 りょうけいちょう 梁啓超
『しにか』7(7)(1996.7),大修館書店【雑誌】
p.102-107 「「史界革命」と明治の歴史学 梁啓超」手代木有児
p.102 「九八年戊戌政変により日本に亡命し、(略)辛亥革命後に帰国してからは、(略)」
『しにか』9(4)(1998.4),大修館書店【雑誌】
p.102-107 「梁啓超 日本亡命と新中国の構想」清水賢一郎
日本亡命前後に関する記事です。中国への帰化,子孫については記述がありません。
『中国人物伝 4 変革と激動の時代 明・清・近現代』井波律子/著,岩波書店,2014【282.2/114イ/4】
p.263-270 「侠の精神」の実践者 譚嗣同・梁啓超・秋瑾
p.266-267 天性のジャーナリスト―梁啓超
『20世紀の歴史家たち 3 世界編 上』刀水書房,1999【201.2/97イ/3】
p.59-73 「梁啓超 一八七三~一九二九」佐藤慎一
生涯や思想に関する記述があります。
『近代中国人物研究』山田辰雄/編,慶応通信,1989【282.2/89ヤ】
p.75-90 梁啓超における湖南 とくに蔡鍔との関係をめぐって
『日本歴史』576号(1996.5)【雑誌】
p.67-82 「福沢諭吉と梁啓超―近代日本と中国の思想・文化交流史の一側面―」肖朗
『中国文学史研究 :「文学革命」と前夜の人々』増田渉/[著],岩波書店,1977【920.2/Ma66】
p.142-172 梁啓超について
p.146 「清朝が崩壊して一九一二年「中華民国」が成立すると、長い亡命生活も自然解消して中国に帰り、(略)」
次の資料は,当館では所蔵していませんが,関連の記述があるとみられます。
『梁啓超』狭間直樹/著,岩波書店,2016
県内では,広島市立図書館,呉市図書館で所蔵しています。
このほか,次の資料を確認しましたが,関連記述はありませんでした。
『歴史・時代小説登場人物索引 アンソロジー篇』DBジャパン/編集,DBジャパン,2000【R910.26/100テ/1】
『歴史・時代小説登場人物索引 単行本篇』DBジャパン/編集,DBジャパン,2001【R910.26/100テ/2】
『歴史・時代小説登場人物索引 アンソロジー篇 遡及版』DBジャパン/編集,DBジャパン,2003【R910.26/103テ/1】
『歴史・時代小説登場人物索引 アンソロジー篇2000-2009』DBジャパン/編集,DBジャパン,2010【R910.26/110テ/1】
『歴史・時代小説登場人物索引 単行本篇2000-2009』DBジャパン/編集,DBジャパン,2010【R910.26/110テ/2】
2 梁啓超の子孫について
当館で契約している人物情報データベース「WHOPLUS」で梁啓超を検索したところ,「家族・親族 長男=梁 思成(建築史家)」と記載がありました。
また,当館で契約している新聞記事データベース「ELNET」で梁啓超を検索したところ29件ヒットし,次の記事に子孫に関する記述がありました。
『朝日新聞』朝刊 1999/05/23
p.4 「閑話休題=梁啓超が神戸にまいた種」
「さて梁啓超は辛亥革命後の一九一二年まで日本に滞在、帰国後は司法総長にもなった。(略)長男、梁思成氏は著名な建築史家となり、ニューヨーク国連ビル設計団の中国代表も務めた。その息子の梁従誡氏は中国初のNGO「自然の友」代表で、希少動物保護などに取り組み、全国政治協商会議委員としても(略)」
梁思成については,次の資料に関連の記述があります。
『北京再造:古都の命運と建築家梁思成』王軍/著,多田麻美/訳,集広舎,2008【518.8/108オ】
p.3-7 作者の言葉―日本語版序
p.3 「梁思成は中国の有名な建築学者です。一九〇一年に東京で生まれました。その父で、中国近代の著名な思想家である梁啓超は、一八九八年に戊戌の変法が失敗に終わると、日本に亡命しました。そして一九一二年、梁思成は父親に従って中国に帰りました。」
『中国人名事典:古代から現代まで』日外アソシエーツ株式会社/編集,日外アソシエーツ,1993【R282.2/93ニ】
p.702 梁思成
『新潮世界美術辞典』新潮社,1985【R703.3/85シ】
p.1583 梁思成
『中国文化史大事典』尾崎雄二郎/[ほか]編集代表,大修館書店,2013【R222/113オ】(再掲)
p.1267 りょうしせい【梁思成】
「近代中国の建築史家・建築家・教育家。父,梁啓超の亡命先である東京の松濤で生まれた。本籍は広東省新会県。1912(民国元)年に両親とともに帰国。(略)」
新聞記事データベース「ELNET」で梁思成を検索したところ17件ヒットしました。次の新聞記事と雑誌記事が含まれていたので,御紹介します。
『産経新聞(大阪)』朝刊 2010/09/30
p.30 奈良県 “古都の恩人”中国人の銅像設置 来月末断念
「(略)奈良県などが進めている中国の建築家、梁思成氏(1901~72年)の銅像設置をめぐる問題で、(略)中国からの銅像受け入れを県が断念したことが29日、わかった。(略)梁氏は中国国民党政府の故物保存(文化財保護)委員を務め、第二次世界大戦中、米軍に奈良・京都を空襲目標から外すよう進言したとして、中国側が平成20年、日中友好協会を通じて梁氏を顕彰する銅像建設を提案。しかし、このエピソードは中国側が持ち込んだもので、内容を疑問視した研究者から(略)など抗議が殺到。(略)」
『AERA』4巻52号(1991.12.10),朝日新聞社【雑誌】
p.39 「SPECIAL=古都 空襲免れた京都、奈良 中国学者が米軍に助言」
梁従誡について新聞記事データベース「ELNET」で検索したところ5件ヒットしました。
『朝日新聞』朝刊 2010/10/30
p.8 「訃報」
『朝日新聞』朝刊 2000/02/09
p.2 「ひと=野生動物保護を訴える 中国の環境団体代表 梁従誡さん」
『朝日新聞』朝刊 1994/05/11
p.3 「ひと=NGO「自然の友」代表 梁従誡さん」
『読売新聞』夕刊 1994/04/26
p.5 「時のひと=中国初の民間環境団体発起人 梁従誡さん 汚染の深刻さを危惧」
『東京新聞』朝刊 1994/04/15
p.4 「国際インタビュー=中国初の環境保護民間団体代表 梁従 氏 環境意識アップ図る」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 中国 (222 9版)
- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 梁文秀
- 梁啓超
- 蒼穹の昴
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000280214