レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2005年07月
- 登録日時
- 2005/09/02 16:02
- 更新日時
- 2009/08/20 13:15
- 提供館
- 岐阜県図書館 (2110001)
- 管理番号
- 岐県図-0628
- 質問
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解決
工事途中で中止になった大垣-岐阜間の鉄道敷設計画について書かれたものはないか。
- 回答
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1 大正末から昭和10年代にかけて「岐垣(ぎえん)鉄道」の構想があった。
計画の経緯については、岐阜新聞・昭和63年5月12日付の「幻の岐垣鉄道(岐阜市百年)」という記事でまとめられている。これによると鉄道敷設権は、昭和3年に西濃鉄道組合(大垣市などが参加、大正15年設立)から養老電鉄に譲渡され、後に養老電鉄と合併した伊勢電鉄に引き継がれたとされている。昭和6年に鉄道敷設の認可申請が出されたが、伊勢電鉄の経営悪化のため空中分解。その後、昭和15年に岐阜市・大垣市などが岐垣鉄道組合を結成し、鉄道に加えて定期バスを運行する計画を立てたが、バス運行は昭和16年に開始したものの、鉄道については実現しないまま戦争を迎えたとある。
2 伊勢鉄道と岐阜県の間では鉄橋建設に際して伊勢電鉄が納めるはずだった寄付金をめぐって訴訟に発展しており、その概略については上記記事のほか、武知京三『近代日本と地域交通 伊勢電と大軌系(近鉄)資本の動向』(臨川書店,1994)p.166~182、長良鵜介「岐垣国道回想」(雑誌『濃飛人』237(1962)p.32-33)に記載があった。
3 組合バスは昭和18年に岐阜乗合自動車株式会社に統合されており、社史『五十年のあゆみ』(岐阜乗合自動車,1994)にも簡単に経緯が紹介されている。これによると「鉄道については国道に沿って軌道を敷設するつもりであったが、長良川と揖斐川に国道の橋を架ける際、橋の片側に伊勢電鉄(現・近鉄)が軌道の敷設権を所有していたので、その調整と軌道用地の買収資金などの事情もあって、ついに軌道は実現しなかった。」(p.43)とされている。
4 森口誠之『鉄道未成線を歩く 夢破れて消えた鉄道計画線実地踏査 私鉄編』(JTBキャンブックス,2001)にも「養老電気鉄道岐阜線」として鉄道計画の経緯について記載がある。
- 回答プロセス
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1 鉄道関係の郷土資料や近鉄、名鉄の社史には記述なし。
2 上記資料中、工事が中断された線路を指す「未成線」という語があったため、これをキーワードに検索。森口誠之『鉄道未成線を歩く 夢破れて消えた鉄道計画線実地踏査 私鉄編』(一般:686.2/モ)に「養老電気鉄道岐阜線」として、該当する鉄道計画の経緯について記述あり。
3 2009年5月に同主旨の質問あり。上記資料は貸出中。 質問内容の補足として、長良大橋を建設した時、鉄道と共用する計画だったとの情報があり、これに基づいて『長良川の橋』(岐阜県土木部,1995)などを参照。「岐垣鉄道」の名称を見つける。
4 「岐垣鉄道」のキーワードで新聞、雑誌記事を検索。
- 事前調査事項
- NDC
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- 鉄道運輸 (686)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 団体
- 登録番号
- 1000023739