『岡山県史』によれば津島運動公園ともいう。総合グラウンドの沿革については『岡山県総合グラウンド』に詳しい。それによれば1948(昭和23)年に都市計画法に基づいて岡山県都市計画事業津島運動公園が決定され、翌年から岡山県戦災復興事務所の公園整備事業(主に緊急失業対策事業)として着工、整備が進められた。当初の主要施設の竣工時期は1951(昭和26)年野球場、1954(昭和29)年庭球場及び水泳場、1957(昭和32)年陸上競技場、1959(昭和34)年体育館、1970(昭和45)年武道館となっている。また1958(昭和33)年にはスポーツの森とスポーツの塔が山陽新聞社創立80周年記念事業の一環として完成、寄贈されており、その詳細は『山陽新聞八十五年史』に詳しい。 同グラウンドの利用については『岡山県大百科事典』『岡山県史』に記事があり、県の中心的な体育施設として1962(昭和37)年の第17回国民体育大会の主会場になった他、インターハイなど各種運動競技の主会場となっている。また2005(平成17)年の第60回国民体育大会でも開会式、閉会式が行われる等、現在でも県の中心的施設としての役割を担っている。なお、2005(平成17)年の国体に合わせて、体育館、陸上競技場が新築されるなど、全体の再整備が進められた。同グラウンドの特色は『岡山県史』によれば旧帝国陸軍の練兵場跡地を平和利用に転換したこと。また『岡山県大百科事典』では国の土地を無償使用していること、市街地内に33万㎡を超す空間を運動公園として確保している点が挙げられる。