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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000232992
提供館
(Library)
岡山県立図書館 (2110029)管理番号
(Control number)
M17122415487715
事例作成日
(Creation date)
2017/12/24登録日時
(Registration date)
2018年03月24日 00時30分更新日時
(Last update)
2019年12月19日 00時31分
質問
(Question)
日本のファッション・ショーがどのように始まったのか知りたい。
回答
(Answer)
『図説日本洋装百年史』p.148によると「高島屋がマネキンの最初であり、三越はファッション=ショー(用語)の最初であった」とされる。三越をはじめ、昭和初期のファッション・ショーを巡る状況については以下の通りである。

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三越のファッション・ショー(昭和2年(1927))以前
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①『図説日本洋装百年史』p.148によると、明治末期頃から三越呉服店ではその年の流行色や模様を学者・芸術家などと共に考案し、大正年代になると、これを「染織逸品会」と銘打って宣伝していた。また、白木屋呉服店でも新作発表会を行い、昭和になると会がいたるところで行われ、和服界をにぎわしたとある。

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三越のファッション・ショー(昭和2年(1927))
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①『図説日本洋装百年史』p.148、②『日本婦人洋装史』p.409、③『日本洋服史 1』p.245によると、三越百貨店6階ホールで昭和2年9月21日から23日まで行われた三越染織逸品会主催のファッション・ショーが、用語として用いられた最初とされる。水谷八重子らの女優に染織逸品会の新衣装(和服)を着せて舞踊をさせ、②『日本婦人洋装史』p.409によると、フランス人の婦人デザイナーも招かれていたようである。

当時の様子は、④1927年10月発行の雑誌『三越』17(10)のp.18-19に「三越フアツシヨン・シヨー」として6点のモノクロ写真と記事が掲載されている。
記事には「九月二十一日より二十三日まで三越ホールに於いて、フアツシヨン・シヨウとしまして水谷八重子、小林延子、東日出子の三嬢が懸賞当選裾模様図案の衣裳をつけて、浅妻、道成寺、蓬莱等の舞踊をお目にかけました」とあり、モノクロ写真にはそれぞれ次のような解説がある。
 ・一等当選裾模様の衣裳をつけた水谷八重子嬢。(正面・背面2枚))
 ・二等当選裾模様の衣裳をつけた東日出子嬢。
 ・八重子嬢の「道成寺」の舞台面。
 ・日出子嬢の「蓬莱」の舞台面。
 ・三等当選裾模様の衣裳をつけた小林延子嬢。

また、①『図説日本洋装百年史』p.148によると、同年に「洋装界最初のファッション・ショー」を同じく6階ホールで開催しており、その時の写真と思われるものが⑤『三越のあゆみ』p.33に「昭和初年のファッションショー」として掲載されている。なお、⑥『写真でみる日本洋装史』p.187では同じ写真を「わが国初めてのファッションショー(三越)昭和二年九月」と解説している。

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昭和2年(1927)以降
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②『日本婦人洋装史』p.410によると、昭和4年(1929)5月に上野松坂屋が新装の講堂で「ファッションレヴュー」(図版p.116に写真あり)と「モダーン・バザー」を開催した旨、昭和5年(1930)には「ドロシー・エドガースの斡旋により、百貨店連合のファッション・ショーが開かれた」(飯島祥邦談話))旨が記されている。
「その後、婦人服発表会と展示会は百貨店の年中行事となり、百貨店の集中する日本橋・銀座は、ファッションの中心地となった」。
松坂屋については①『図説日本洋装百年史』p.148で、前述の三越の洋装界最初のファッション・ショー(昭和2年)におくれて「アンニー=フランス女史の婦人洋服陳列会について、エリアナ=パウロバ女史のショーが七階ホールで開催された」とも書かれている。

また、⑦『読売新聞』昭和8年(1933)3月22日9面の「新装の高島屋一巡記」という記事では、ホール開きでファッション・ショーを開催した旨が、脚本演出、振付などをした人物名や写真と共に掲載されている。

①『図説日本洋装百年史』p.148によると、「いずれも、今日からみれば小規模にすぎないものであって、盛大なショーはそれよりおくれて昭和八年、大辻司郎司会による、ドロシー=エドガース企画のものが最初であった」とされる。⑧『流行うらがえ史』p.96-97には「日本におけるショウの草分け」として紹介されており、越水金治、筒井光康などが企画に賛同し、会場が朝日新聞社の5階講堂であったこと、当時のモデル周旋所が昭和4年に山野千枝子が設立した「マネキンクラブ」であり、料金が一日8円だったことなどが記されている。

⑨『読売新聞』昭和13年(1938)7月20日7面の「時代の転変に悩むデパート 新分野の開拓へ“全盛時代は去った”」という記事では、当局の統制によって「デパートの生命ともいふべき」ファッション・ショーが取り止めになったことが記されている。
回答プロセス
(Answering process)
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
衣住食の習俗  (383 9版)
参考資料
(Reference materials)
①遠藤武・石山彰『図説日本洋装百年史』 文化服装学院出版局,1962,212p. 参照はp.148.(当館資料番号:0000175851/国立国会図書館デジタルコレクション・図書館送信参加館内公開)
②中山千代『日本婦人洋装史』 吉川弘文館,2010,26,502,7,12p 図版128pp. 参照はp.409-410,図版p.116.(当館資料番号:0009945502)
③『日本洋服史 1』 日本図書センター,2011,443p. 参照はp.245.(当館資料番号:0010794097)
④「三越フアツシヨン・シヨー」『三越』17(10),1927.10,p.18-19.(国立国会図書館デジタルコレクション・図書館送信参加館内公開)
⑤三越のあゆみ」編集委員会 編集『三越のあゆみ』 三越本部総務部,1954,62,7p. 参照はp.33.(当館資料番号:0009894908/国立国会図書館デジタルコレクション・図書館送信参加館内公開)
⑥遠藤武・石山彰『写真でみる日本洋装史』 日本図書センター,2014,315p. 参照はp.187.(当館資料番号:0012802112)
⑦「新装の高島屋一巡記」『読売新聞』1933年3月22日,朝刊,p.9.(読売新聞ヨミダス歴史館 閲覧日:2017年12月24日)
⑧うらべまこと『流行うらがえ史』 文化服装学院出版局,1965,323p. 参照はp.96-97.(当館資料番号:0001062710/国立国会図書館デジタルコレクション・図書館送信参加館内公開)
⑨「時代の転変に悩むデパート 新分野の開拓へ“全盛時代は去った”」『読売新聞』1938年7月20日,朝刊,p.7.(読売新聞ヨミダス歴史館 閲覧日:2017年12月24日)
キーワード
(Keywords)
服装-歴史
ファッション・ショー
三越
水谷八重子
小林延子
東日出子
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
M2017122415434987715
調査種別
(Type of search)
内容種別
(Type of subject)
質問者区分
(Category of questioner)
全年齢
登録番号
(Registration number)
1000232992解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
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