『箸の本』p.15-17には、「日本に大陸から箸が農耕文化の一環として伝来したのは、弥生時代末期である。」「今日、箸といえば二本一組の箸を想像するが、弥生時代から奈良初期にかけての一時期、『折箸』といって竹を折ってピンセット状にした箸が使われた。これは竹を細く削り、その一本の竹を中央部から折り曲げ、両端を向かい合わせたものである。」と記されている。また、「この折箸と前後して銀・銅・鉄などの今日使われている二本箸も伝来したようだ。」と説明されている。
『箸の文化史 世界の箸・日本の箸』p.54-55には、「中国の新しい箸食制度は、隋使の来日をきっかけとして、奈良時代になると宮中の儀式や供宴には、中国式の会食作法が採用され、『馬頭盤』にのせられた金や銀の箸と匙が用いられるようになった。」「次の八世紀の初め、奈良の都・平城京造営の中で箸食制度も本格的にすすめられ、従来の生活習慣であった手食から箸食へと、生活革命が行われた。」と説明されている。
『箸』p.24-26には、「わが国の箸の起源をみると」「六世紀には仏教が伝来して、大陸との交渉が一層頻繁になったこと、七世紀初頭には遣隋使が送られ、また中国より裴世清が来朝していて、聖徳太子がこの使節を大陸風にもてなされたであろうことなどから、上流階級にはこのころには金属製の唐箸が匙と共に用いられていたと思われる。」「七世紀後半の遺跡である板葺宮遺跡や藤原宮遺跡から檜製箸状の出土品が匙形の物と共にみられること、平城京や長屋王(六八四~七二九年)の邸跡からも木製の箸や匙が出土していることから、箸は七世紀以降になって一般に普及したと思われる。」と説明されている。
『お箸の秘密』p.22-23では、「『お箸はすでに縄文時代の日本にあった』というのが私の説です。」「北海道の礼文町船泊遺跡(写真C)や、福井県鳥浜貝塚(写真B・D)などの縄文時代の遺跡からは、もう既に木や骨を削ったお箸状のものが出てきます。木の棒や、骨で作ったさじ状のものも出てきます。」「世界最古のお箸であると中国のお箸の本で紹介しているのと同じものが、日本列島から出て来ているのです。」と記されている。