レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011/03/09
- 登録日時
- 2012/08/24 02:12
- 更新日時
- 2024/03/30 00:35
- 管理番号
- M12022313311915
- 質問
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京都・鞍馬寺にある仏像「善膩師童子」について知りたい。毘沙門天と吉祥天の子供であるらしい。
- 回答
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資料①『古寺巡礼京都 鞍馬寺』に該当の仏像「毘沙門天立像及び吉祥天・善膩師童子立像」の写真と解説がある。それによると「善膩師童子は毘沙門天に扈従(こじゅう)する5人の息子(五童子)の一人で末子とされ、吉祥天を母とし、母子で両脇に侍する姿に現されることが多い。頭体はもとより左手に捧げ持つ宝筺(ほうきょう)にいたるまで一木造(いちぼくづくり)で、右手は別材である。」と記載がある。
資料②『四天王』では、鞍馬寺の像についての解説に「善膩師童子は毘沙門天に随従する五童子のひとつで、『北方毘沙門天王随軍護法真言』に説かれる護法神である。(後略)」とあり、本文にも「毘沙門天と吉祥天の間に生まれた子供で、父とともに護法に努めているという。毘沙門天との三尊形式では、母・吉祥天とともに脇侍として造られる。毘沙門天には彼のほかに4人の子供があるとされ、眷属のひとつとして「五太子」と呼ばれる。『尊容鈔』という資料では最勝太子・独健太子・那叱太子・常見太子・善膩師太子の名が挙げられ、『秘鈔問答』という別の文献では禅尼師・独健・那叱・鳩跋羅・甘露の名が挙げられて、一定しない。(中略)文献上の根拠は定かではないが、信仰上、善膩師童子は末子と理解されているようだ。」とあり、清雲寺(福井)、雪蹊寺(高知)の仏像の写真も掲載されている。
資料③『重要文化財4』では高知市雪蹊寺の「善膩師童子立像」の図版と解説がある。それによると、「善膩師童子は、『毘沙門天王経』によれば毘沙門天の変化身で、信仰する者の前に現れて福徳を授けるといわれるが、わが国では独尊としてではなく、吉祥天像とともに中尊毘沙門天像の脇侍として造顕されるのが普通であり、本像もその一例である。」とある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 寺院.僧職 (185 9版)
- 参考資料
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資料①信樂香仁,道浦母都子『古寺巡礼京都14 鞍馬寺』 淡交社,2007,143p. 参照はp.43.
資料②『四天王 神仏のかたちシリーズ 2』 学研,2004,144p. 参照はp.140-141.
資料③『重要文化財 4彫刻Ⅳ』 毎日新聞社,1974,124,4p. 参照はp.原色図版5.
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資料①信樂香仁,道浦母都子『古寺巡礼京都14 鞍馬寺』 淡交社,2007,143p. 参照はp.43.
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- M2012022313341111915
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 全年齢
- 登録番号
- 1000110527