レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016/7/30
- 登録日時
- 2018/07/17 00:30
- 更新日時
- 2018/07/17 00:30
- 管理番号
- M16072818181639
- 質問
-
宇喜多秀家が旭川の流路を変更する前、岡山市内をどう流れていたか。
- 回答
-
(資料1)によると、1594(文禄3)年の岡山城大改築に際し、防御のため岡山城の東側を囲むように蛇行させて現代岡山市街を流れるように付け替えたとある。
これ以前の流路について、(資料2)に、つけ替え以前の流路が述べられ、(資料3)には図示されている。
(資料4)には、奈良朝前後(本流路)と室町朝前後(文明年代)の流路が示され、(資料5)には、岡山城北東方向の旧河道・水みちの痕跡が複数掲載されている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (09 9版)
- 参考資料
-
-
(資料1)『全世界の河川事典』 丸善出版,2013年,1013p. 参照はp.438.
(資料2)『備前記 全』岡山 備作史料研究会,1993年,350p. 参照はp.5p.
(資料3)山本利幸/著『後楽園』岡山 山陽新聞社,1991年,95p. 参照はp.23.
(資料4)『旭川』岡山 国土交通省中国地方整備局岡山河川事務所,14p. 参照はp.3.
(資料5)『旭川を科学する Part4』岡山 吉備人出版,2008年,119p. 参照はp.61.
-
(資料1)『全世界の河川事典』 丸善出版,2013年,1013p. 参照はp.438.
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- M2016072818135181639
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 全年齢
- 登録番号
- 1000238629