下記の資料により、長慶天皇の宸翰は高野山の金剛峯寺所蔵の国宝「宝簡集 五十四巻」に含まれており、
説明は③、画像は④⑤で確認できる。
大きさは「縦 三〇糎三粍 横 四四糎」= 縦:30cm3mm 横:44cm
国宝に指定されたのは
現在の文化財保護法では 昭和28年 11月14日
それ以前の古社寺保存法および国宝保存法では 明治41年4月23日
である。
①『皇室事典』p502-503 に以下の記述あり。
「宸翰 天皇の直筆による文書を宸翰とか御筆ともいう。」「長慶天皇の宸翰は高野山天野社への願文一通と薬仙寺蔵の写経一巻」
②『天皇皇族実録 75 後村上天皇実録・長慶天皇実録・後亀山天皇実録』p24-25 に以下の記述あり。
「元中二年九月十日、願文ヲ高野山ニ納メサセラル、
〔高野山文書〕○大日本古文書 家わけ第一ノ一 寶簡集三十九
長慶院御願文 敬白 發願事 右、今度之雌雄如思者、殊司到報賽之誠之状如件、 元中二?九月十日 太上天皇寛成敬白」
③『宸翰英華 第1冊』p320 に以下の記述あり
「長慶天皇 二一六 宸翰御願文 一通 和歌山県 金剛峯寺蔵
敬白 發願事 右、今度之雌雄如思者、殊司到報賽之誠之状如件、 元中二?九月十日 太上天皇寛成敬白
この御願文は、高野山の鎮守天野社に収めて、賊軍との合戦に雌雄を決して、皇道を恢復せられんことを祈願せられたものである。此の頃官軍は紀伊に進出、壘を天野山に築いて據つてゐたので、それ故願文を同社に納められたのであらう。此の宸翰は現存せる天皇の唯一のものとして殊に貴重なものである。」
④『宸翰英華 乾』に画像あり。
(国会図書館デジタルコレクションでも閲覧可能
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1908154/ コマ番号:306-307)
⑤『高野山霊宝大観』p45-46 に以下の記述と画像あり。
「国宝 長慶院宸筆御立願文(宝簡集 五十四巻ノ内)
南北朝時代 縦 三〇糎三粍 横 四四糎 金剛峯寺
元中二年九月十日長慶天皇発願の宸翰で署名の太上天皇寛成は、長慶院が即位したことを示す資料として歴史的に貴重なものである。」
⑥『国指定文化財等データベース』で「宝簡集」を検索したところ、
「国宝指定年月日: 1953.11.14(昭和28.11.14)」 となっていた。
⑦『国宝・重要文化財大全 別巻』p294 では
「(明41・4・23)国昭28・11・14 (名変 昭39・6・18 現変)」となっていた。
⑧『国宝・重要文化財大全 8 書跡』p342 では下記の記述あり。
「宝簡集 54巻 続宝簡集 77巻、6冊 又続宝簡集 167巻、9冊 和歌山県 金剛峯寺 平安時代~桃山時代 高野山内諸寺院から重要文書を収録し、正、続、又続の3部に編集したもの。およそ1780通を収める。公家、武家などの名家筆蹟も多く存し寺家文書の代表的遺品。」
⑨『高野山霊宝館』ホームページ「高野山と文化財 > 文化財年表 > 昭和1年~昭和29年」に下記の記述あり
「1953年 昭和28年 11月14日付
国宝・書跡宝簡集・続宝簡集・又続宝簡集二九八巻一五冊金剛峯寺が新国宝指定となる。旧国宝指定日は各、明治41年1月10日、同、明治42年4月5日、明治41年1月10日、明治41年4月23日。」