レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/12/05
- 登録日時
- 2015/11/12 10:23
- 更新日時
- 2016/03/26 13:12
- 管理番号
- 埼熊-2015-061
- 質問
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未解決
富岡製糸場建設の際、煉瓦は韮塚直次郎が尾高惇忠より「御用達」として依頼されたが、これは請負にあたるか知りたい。
- 回答
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請負にあたるかがわかる資料は見つからなかった。
なお、関係資料として埼玉県立文書館にある以下の史料を紹介した。
「県史編さん史料 CH本 細目 200-3 深谷市韮塚家文書3 富岡製糸場煉瓦及び瓦の請負に関する書類綴 明治4年 1871」(http://www.monjo.spec.ed.jp/ 埼玉県立文書館 2015/11/12最終確認)
- 回答プロセス
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『日本科学技術史大系 17 建築技術』(日本科学史学会編 第一法規出版 1964)
p108-122「第4節 富岡製糸所」
p109「木材や瓦はもちろん、石材・シックイの切出し焼成、煉瓦の生産など、地元関係者・職人を総動員し、苦心してこの片田舎に、衆目をそばだてる大建築を完成したのである。」との記述あり。
『近代群馬の蚕糸業 産業と生活からの照射』(高崎経済大学附属産業研究所編 日本経済評論社 1999)
p80 煉瓦についての中に「福島の笹の森稲荷の神社近くの小さな崖で、韮塚直二郎が瓦職人を雇って焼成したものである。韮塚は、製糸場建設責任者の尾高惇忠が郷里の埼玉県明戸村から呼び寄せた親方で、大工や石工などを束ね、ブリューナからあれこれと説明を受けて煉瓦を焼成している。」との記述あり。請負については記載なし。
『在来技術改良の支えた近代化 富岡製糸場のパラドックスを超えて』(松浦利隆著 岩田書院 2006)
p196「実際の建築の中心となったのは、武蔵国下手計(現、埼玉県深谷市)出身の民部省庶務少佑尾高惇忠であり」
p196「この大工事を実際に取り仕切ったのは、尾高の故郷に近い武蔵国明戸から連れてきた韮塚直次郎という人物であった。建築資材の中でどうしても国内で入手できなかったレンガは、彼自身がブリューナから教えをうけて、原料の粘土を産出していた甘楽町福島に窯を築き焼成した。」とあり。
『絹ひとすじの青春 『富岡日記』にみる日本の近代』(上条宏之著 日本放送出版協会 1978)
p97に「瓦や煉瓦は、尾高惇忠の郷里の近くにある明戸村から韮塚直二郎を招き、同村の瓦師を動員して、富岡の東方四キロメートルほどの福島に瓦焼き場をつくらせた。」とあり。
《埼玉県立文書館蔵書検索システム》で〈富岡製糸場〉を検索する。
「県史 CH本 細目 200-3 深谷市韮塚家文書3 富岡製糸場煉瓦及び瓦の請負に関する書類綴 明治4年 1871」(http://www.monjo.spec.ed.jp/ 埼玉県立文書館 2015/11/12最終確認)があり。
《国立公文書館デジタルアーカイブ》(http://www.digital.archives.go.jp/ 国立公文書館 2015/11/12最終確認)で〈富岡製糸場〉を検索。
75件ヒットするが、該当するような資料はなし。
その他調査済み資料
『旧富岡製糸場建造物群調査報告書』(文化財建造物保存技術協会編 富岡市教育委員会 2006)
『富岡製糸場事典 Silk Country Gunma 21 シルクカントリー双書 8』(富岡製糸場世界遺産伝道師協会〔著〕 上毛新聞社 2011)
『富岡製糸場誌 上』(富岡製糸場誌編さん委員会編 富岡市教育委員会 1977)
『富岡製糸場誌 下』(富岡製糸場誌編さん委員会編 富岡市教育委員会 1977)
『群馬県史 通史編 8 近代現代』(群馬県史編さん委員会編 群馬県 1989)
- 事前調査事項
- NDC
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- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 関東地方 (213 9版)
- 製糸.生糸.蚕糸利用 (639 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 韮塚直次郎(ニラヅカ ナオジロウ)
- 韮塚直二郎
- 富岡製糸場
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000183643