レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年07月14日
- 登録日時
- 2015/05/28 18:09
- 更新日時
- 2015/06/30 13:11
- 管理番号
- 埼熊-2015-008
- 質問
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解決
1 新潟市に昔あった小潟の位置を知りたい。小潟(小さい干潟みたいなもので、そう呼ばれていた)は鳥屋野(とやの)潟(現存する)の近くにあったらしい。また、埋め立てられた小潟には新潟女子高校が建てられたらしい。その後、現在の江南高校になったと思われる。
2 1960年以前の新潟駅の位置が知りたい。
- 回答
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1、2とも以下の資料に記載があった。
『中部 2 長野・新潟・富山・石川・福井 地図で読む百年』(平岡昭利編 古今書院 2000)
p32「図18 1911年(明治44)の新潟市」に小潟、旧新潟駅(1904[明治37]年開業時)の記載あり。
p33「図19 現在の新潟市」に現在の新潟駅の記載あり。
また、この2枚の図は表紙にも掲載されている。
- 回答プロセス
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1について:『新潟県大百科事典』(新潟日報事業社篇 新潟日報事業 1977)等の参考図書で、小潟について調査し、自館目録を〈新潟 & 地図〉で検索した結果から回答資料を確認した。
2について:1の回答資料を確認し、該当の記述を見つけた。
回答資料以外に記述のあった資料・情報は次のとおり。
1 小潟の位置について
『新潟県大百科事典 下』(前出)
p223「鳥屋野」の項
「かつては周囲に蓮池・小潟・清五郎の小湖沼があったが埋め立てられてしまった。」とあり。
2 新潟駅の位置について
『中部 2 長野・新潟・富山・石川・福井 地図で読む百年』
上記のほか、p35-36「3.交通網の整備と都市の再開発」に以下の記述あり。
「最初の鉄道は、(中略)北越鉄道(のちの信越線)である。これが(中略)新潟駅まで延長されたのは、1904年のことであった。」「1958年には新潟駅も移転して開通当初の信越線の経路とは大きく変わって現在に至っている。」
『新潟県大百科事典 下』(前出)
p288「新潟駅」の項
「同(1904)年5月市内流作場(現弁天公園)に建設され営業を開始した。」「その後1956年駅舎の狭隘化に伴い東方約300メートルの現在地に新駅が起工され、1958年4月民衆駅として開業した。」とあり。
『新潟県史 通史編 7』(新潟県 1988)
p550-556「新潟市の発展と都市化」の項
p554-555「終点の新潟駅が万代橋の東取付け口の南に設置されたことなどにより、(後略)」とあり。p555「図116 新潟市周辺図(2万5千分の1 明治44年)」には、旧新潟駅が記載されている。
『鉄道廃線跡を歩く 6』(宮脇俊三編著 日本交通公社出版事業局 1999)
p184-185「地形図に見るターミナルの変遷と廃線跡」の頁に昭和9年、昭和27年、昭和46年、平成8年の新潟市地形図(5万分の1)あり。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 9版)
- 北陸地方 (214 9版)
- 参考資料
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- 『中部 2 長野・新潟・富山・石川・福井 地図で読む百年』(平岡昭利編 古今書院 2000) , ISBN 4-7722-5048-4
- キーワード
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- 新潟県-地誌
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 地名
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000175178