レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年09月04日
- 登録日時
- 2012/11/14 13:17
- 更新日時
- 2013/01/08 14:12
- 管理番号
- 埼熊-2012-164
- 質問
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未解決
幕末の幕臣、北川(秀裕=明治の名前、隆三郎かも)氏の家の地図を知りたい。北川千代の先祖で神田小川町1番あたりと思われる。
- 回答
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北川千代の父・祖父について調査したが、該当の北川氏の家を特定することはできなかった。
回答プロセスを報告した。
- 回答プロセス
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北川千代の父についての調査する。
《深谷市》のウェブサイト(http://www.city.fukaya.saitama.jp/lforte/kitagawatiyo.html 2012/11/14最終確認)
「千代の父である北川俊(1851・嘉永4年生-1917・大正6年没)は明治20年から日本煉瓦工場の工場長を努めます。」とあり。
渋沢栄一と日本煉瓦製造株式会社に関する資料を調査する。
『95年のあゆみ』(日本煉瓦製造株式会社〔編〕 日本煉瓦製造 1983)
p3-7に北川俊に関する記載あり。
1887(明治20)年10月「会社設立(中略)工務副監督兼通訳 北川 俊」
1901(明治34)年1月「諸井恒平、北川 俊取締役就任」
1903(明治36)年1月「北川工場長を独逸に派遣」
1908(明治41)年8月「北川 俊取締役工場長を辞任、工場顧問となる」
1913(大正2)年6月「北川 俊工場顧問を解く」
『日本煉瓦100年史』(日本煉瓦製造株式会社社史編集委員会編 日本煉瓦製造株式会社 1990)
p103欄外に北川俊の項あり。「嘉永四年(1851)11月25日生まれ。明治12年6月5日、北川家の家督を相続する。明治41年、病にかかり工場からは身を引くが、その後も顧問としてとどまった。俊の長女(明治24年6月、当社上敷免工場社宅で出生)の千代は児童文学者となり、昭和22年5月に発表した『巣立ちの歌』(中央出版)には、千代の子供時代の当社上敷免工場の様子が描かれている。」
〈北川〉姓を地図で探す。
『江戸東京散歩 切絵図・現代図で歩く』(安田就視写真 わたなべこういちイラスト 人文社 2002)
p40「東都下谷絵図」に「北川」あり。ただし、フルネームはわからず。
『第一軍管地方迅速測図 二万分一地形図』(参謀本部測量局〔編〕 大日本測量 〔19--〕)
「麹町区」の地図に小川町あり。個人の家は特定できない。
『江戸東京重ね地図 安政三年1856度実測復元地図』(吉原健一郎、俵元昭監修 エ-ピ-ピ-カンパニ- 2001)
【CD-ROM】 No.3654「小川町」近辺の名前を見るが北川姓みあたらず。
北川千代から調べる。
『児童文学事典』(日本児童文学学会編 東京書籍 1988)
p189「北川千代」の項に、「埼玉県大里郡大寄村(現深谷市)の日本煉瓦会社の社宅に生まれる。」とある。千代が生まれた頃には既に埼玉県に移り住んでいた。
『埼玉人物事典』(埼玉県教育委員会編 埼玉県 1998)
p285〈きたがわ ちよ 北川 千代〉の項あり。
「明治27.6.14-昭和40.10.14(1894-1965) 児童文学者。大寄村(深谷市)生まれ。本名高野千代。俊、てうの長女。当時俊は日本煉瓦工場の工場長で、千代はその社宅で誕生した。明治38年(1905)に上京するまで大寄村に居住。(以下略)」
本名とされる「高野」姓は後に結婚した高野松太郎の姓と思われる。
『日本児童文学大系 22 北川千代、壷井栄』(ほるぷ出版 1978)
p453-462〈北川千代年譜〉に以下の記述あり。
「祖父は、幕府天文方に勤める旗本で昌平校教授。父の俊は好学の血をつぎ、渋沢栄一にみとめられドイツに留学。帰国後日本煉瓦会社に入社、建築用煉瓦の工場長であった。母てうは新町富沢氏の出。」
その他調査済み資料は以下のとおり
渋沢栄一と日本煉瓦株式会社
『日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設』(深谷市教育委員会 〔1997〕)
『渋沢栄一と埼玉の近代:創業期の日本煉瓦製造株式会社』(埼玉県立文書館編 埼玉県立文書館 2011)
『渋沢栄一翁の顕彰とレンガを活かしたまちづくり』(深谷市 第8版 2007)
『渋沢栄一事業別年譜 全』(渋沢青淵記念財団竜門社編 国書刊行会 1985)
『埼玉の先人渋沢栄一』(韮塚一三郎著 金子吉衛著 さきたま出版会 1983)
『青淵先生六十年史:一名近世実業発達史 2』再版(竜門社編 竜門社 1900)
『埼玉県名士鑑 全』(高田晴司編 埼玉県名士鑑編纂会 1925)
武鑑
『江戸幕府役職武鑑編年集成 33(安政7年-文久2年)』(深井雅海編 藤實久美子編 東洋書林 1999)
p47「安政武鑑」(安政7年)の〈天文方〉に名前なし。
p135「大成武鑑」(万延元年)なし。
p225「大成武鑑」(万延2年)なし。
p317「文久武鑑」(文久元年)なし。
p407「大成武鑑」(文久2年)なし。
p501「文久武鑑」(文久2年)なし。
武鑑を総合的に確認するため、『大武鑑』による調査を行う。
『大武鑑 改訂増補』上・中・下(橋本博編 名著刊行会 1965)
下巻の索引より〈天文方〉にあたる。ついでに〈学問所〉(念のため〈開成所〉も)も確認する。
〈天文方〉関連職(元禄12-慶應2)に「北川」姓の人名なし。
〈学問所〉関連職(文政6-明治1)に「北川」姓の人名なし。
〈開成所〉関連職(元治1(文久4)-明治2)に「北川」姓の人名なし。
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 日本 (291 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 北川(氏)(キタガワ(シ))
- 北川 千代(キタガワ チヨ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000113995