レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012/08/23
- 登録日時
- 2012/11/29 14:45
- 更新日時
- 2012/12/27 17:51
- 管理番号
- 埼浦-2012-080
- 質問
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未解決
昭和天皇が陸軍予科士官学校(朝霞市)への行幸で使用した道について知りたい。
- 回答
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昭和天皇が陸軍予科士官学校への昭和18年の行幸で使用した道について、具体的に書かれている資料は見つからなかった。
- 回答プロセス
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調査経過
『目で見る朝霞・志木・新座・和光の100年 写真が語る激動のふるさと一世紀』(郷土出版社 2007)
p67-70「陸軍予科士官学校」の項
p67「陸軍予科士官学校正門(朝霞市・昭和10年代)」の写真解説文に「正門前には、周りの住宅地と場違いの広い並木道が短いながらもあった。昭和天皇の行幸の際に特別に造られた道で、行幸道路と言われた。」とあり。
『朝霞市史 通史編』(朝霞市 1989)
p1244-1256 「第2節 陸軍予科士官学校」昭和18年の行幸についての記述あるが、使用した道路の記述はなし。
『朝霞市史調査報告書 3 行政文書マイクロフィルムリーダー目録』土木関係文書に該当するものはなし。
『和光市史 通史編 下』(和光市 1988)
p537-538「陸軍予科士官学校の移転」該当記述なし。
『図説和光市の歴史』(和光市 1980)
p126-127「陸軍予科士官学校」地図があるが、小さく判読が難しい。
『あさかの歴史』(朝霞 1997)p179-183「第九節 陸軍予科士官学校と被服廠」該当記述なし。
『描かれた朝霞 第22回企画展』(朝霞市博物館 2008)
p43「陸軍予科士官学校地図」(昭和19年(1944))の写真あり。 写真サイズが小さいため周辺の道は判読ができない。
『自衛隊施設内の歴史的建造物 昭和編』(防衛施設技術協会 2006)
p66-69「振武台記念館(陸軍士官学校皇族舎)朝霞駐屯地」解説文に「昭和18年12月、天皇陛下行幸の際、「振武台」の名を賜った」とあるが、道についての記述なし。
『青春の賦 わが回想の陸軍士官学校』(秋元書房 1992)
p95-105「天皇陛下朝霞台へ」昭和18年12月9日の記述があるが、道に関する記述なし。
『朝霞町勢要覧 昭和28年版』(朝霞町 1953)地図があるが、道の名なし。
その他調査済み資料は以下のとおり
『東京陸軍被服本廠・朝霞作業所(東京陸軍被服支廠)の疎開について 太平洋戦争開戦から終戦処理まで』(〔中村哲〕 2008)
『知られざる軍都多摩・武蔵野を歩く』(洋泉社 2010)
『陸軍航空士官学校』(陸軍航空士官学校史刊行会 1996)
『所沢陸軍飛行場史』(小沢敬司 1978)
『新編埼玉県史 通史編6 近代2 』(埼玉県 1989)
『大和町勢要覧 昭和44年版』(大和町総務課 1969)
『埼玉新聞 昭和18年12月10日』
《埼玉県立文書館収蔵資料検索システム》を〈行幸〉で検索した結果、下記の資料のみで該当しない。
「埼玉県報 号外 昭和18年12月7日」告示第822号 陸軍士官学校へ行幸アラセラルルニ付航空制限の件」
〈朝霞〉〈天覧〉〈大和〉で検索したが、該当の文書なし。
(http://www.pref.saitama.lg.jp/soshiki/s28/ 埼玉県立文書館 2012/08/23最終確認)
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 9版)
- 陸軍 (396 9版)
- 系譜.家史.皇室 (288 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 朝霞市-近代-歴史
- 朝霞市-行幸
- 陸軍予科士官学校
- 昭和天皇
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000115090