レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年10月24日
- 登録日時
- 2019/07/09 16:33
- 更新日時
- 2019/12/18 13:53
- 管理番号
- 埼熊-2019-041
- 質問
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解決
松山藩(山形県旧松山町)が江戸時代中期頃、群馬県桐生市に置いた飛び地についての資料を見たい。
- 回答
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以下の資料と情報を紹介した。
『桐生市史 上巻』(桐生市史編纂委員会編 桐生市 1958)
p474「桐生新町。神尾氏治領六十年で、寛保二年(一七四二)一時天領に入り、宝暦十二年再び神尾領に戻り、安永八年に至つて出羽国(秋田山形両県)松山藩主酒井大学頭の領地に変わつて幕末に及んだ、これは桐生地方唯一の大名領である。」とあり。
《国会図書館デジタルコレクション》「松山町史 上巻」(松山町 1987)p496-497 「二、上州五千石の加増」の項
(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9571949 国会図書館)267コマ 国立国会図書館/図書館送信参加館内公開
p496「安永八年(一七七九)十二月十五日、忠休は永年の幕府要職勤務の功により、五、〇〇〇石の加増と松山築城が認められた。五、〇〇〇石は、上野国山田郡と勢多郡の内に与えられ、その内訳は次のようになっている。 一、高三百弐拾壱石五合 桐生新町(後略)」
p497「この上州五、〇〇〇石の支配は、桐生新町に陣屋を構えてすすめられた。(後略)」とあり。
- 回答プロセス
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1 松山町史を確認する。
(1)自館目録を<松山町史>で検索する。
『松山町史年表』(松山町史編纂委員会編 松山町 1975)
p74 安永八(1779)年に、「十二月十五日 忠休、上野国の内五千六十石追加増、(後略)」とあるが、地名について記載なし。
(2)《国会図書館デジタルコレクション》(http://dl.ndl.go.jp/ 国会図書館)を〈松山町史〉で検索する。
2 『桐生市史』を確認する。
3 自館目録を〈山形県史〉で検索する。
『山形県史 第2巻 近世編』(山形県編 山形県 1985)
『山形県史 第3巻 近世編』(山形県編 山形県 1987)
該当なし。
ウェブサイト・データベースの最終アクセス日は2017年10月22日。
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 9版)
- 参考資料
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- 『桐生市史 上巻』(桐生市史編纂委員会編 桐生市 1958)
- キーワード
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- 山形県-歴史-近世
- 松山藩(山形県)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000258498