レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年10月13日
- 登録日時
- 2011/11/19 16:41
- 更新日時
- 2012/02/14 16:01
- 管理番号
- 埼久-2011-053
- 質問
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解決
「中沢弁次郎」の生年が、資料によって異なっている。(『埼玉県人物誌』『国史大辞典』『埼玉人物事典』)神川町生れなので、『神川町誌』で中沢氏の生没年を調べてほしい。
- 回答
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中沢弁次郎の生没年月日について記述のある資料はあるが、どちらが正しいか判断はできない。生没年月日の記述は下記のとおり。
『神川町誌』(神川町、神川町教育委員会 1989)には新聞に発表した論文の紹介は出ているが、生没年月日の記述はない。
『埼玉県人物誌 中』(埼玉県文化会館 1964)
p85-91 1887(明治20).7.7~1945(昭和20)11.28 60歳
執筆者:長沼依山
『国史大辞典 10』(吉川弘文館 1989)
p586 1891(明治24).7.7~1945(昭和20)11.28 55歳
執筆者:神田文人
参考文献として『埼玉県人物誌 中』があがっている。
『埼玉人物事典』(埼玉県教育委員会編 埼玉県 1998)
p572 1891(明治24).7.7~1946(昭和21.11.28)[享年45歳との記述あり。]
『埼玉大百科事典 4』(浦和 埼玉新聞社 1975)
p53 (1887-1945)
『人物レファレンス事典 明治・大正・昭和(戦前)編 す~わ』(日外アソシエーツ 2000)
明治24(1891)年7月7日~昭和21(1946)年11月28日
典拠に挙げられている資料は、『近代日本社会運動史人物大事典』『現代日本朝日人物事典』『国史大辞典』『日本社会運動人名辞典』だが、『国史大辞典』のみ没年が1945年となっている。
『日本米価変動史』(柏書房 1965)(1933の復刻版)
巻頭の「再刊にあたって」(中沢梅子著)に以下の記述あり。「昭和二十年三月十八日の空襲で・・・翌二十一年、衆院選挙に備え、郷里村人の御要望にこたえて出馬すべく決意し、もっぱら健康回復に努力いたしましたのに十月末、ふとした風邪が原因で十一月心臓衰弱となり、同月二十八日再起かなわず他界の人となりました。・・・夫逝いて今年は満二十年・・・昭和四十年八月六日」 夫人の回想だが、没年が、昭和20年、21年どちらともとれる表現である。
所蔵資料の中沢弁次郎の著作を調べたが、関連記述があった資料はこの資料のみ。
オンラインデータベースを〈中沢弁次郎〉で検索する。
《WHOPLUS》
明治24(1891)年7月7日~昭和21(1946)年11月28日 没年齢55歳
《聞蔵IIビジュアル》《ヨミダス歴史館》《毎日NEWSパック》いずれも該当記事なし。
菩提寺の吉祥院(埼玉県児玉郡上里町大御堂)戒名「利生院忍海道雅居士」(『国史大辞典』による)に問い合わせるが、不明とのこと。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 農業経済・行政・経営 (611 9版)
- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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- 『埼玉県人物誌 中』(埼玉県文化会館 1964)
- 『国史大辞典 10』(吉川弘文館 1989)
- 『埼玉人物事典』(埼玉県教育委員会編 埼玉県 1998)
- 『人物レファレンス事典 明治・大正・昭和(戦前)編 す~わ』(日外アソシエーツ 2000)
- 『日本米価変動史』(柏書房 1965)
- キーワード
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- 中沢 弁次郎(ナカザワ ベンジロウ)
- 人名辞典-埼玉県
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000096976