レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
提供館 (Library) | 埼玉県立久喜図書館 (2110009) | 管理番号 (Control number) | 埼熊-2016-007 | ||||||||||
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事例作成日 (Creation date) | 2015/09/15 | 登録日時 (Registration date) | 2016年05月24日 15時33分 | 更新日時 (Last update) | 2016年07月06日 16時08分 | ||||||||
質問 (Question) | 現在の川口市、旧北足立郡新井宿村に関する歴史について以下の資料をみたい。 (1)村内の機屋(はたや)農家に関する内容資料 (2)村の歴史を書いた資料 (3)村の古地図(江戸期-昭和20年頃) (4)村の山岳信仰、小御岳碑などの資料 | ||||||||||||
回答 (Answer) | 以下の資料を紹介した。(4)の「小御岳碑」に関する記述は見つからなかった。 『川口市史縮小版』(川口市 1996) (1)について p59「鋳物以外で特徴的な農間余業が木綿織物の青縞です。(中略)もともと木綿織は自家用生産のため細々と生産されていたものでしたが、市域に隣接する塚越村(蕨市)高橋家の貢献により数々の改良がなされて、南埼玉の村々に普及したといわれています。」 p154-155「地場産業」の項に、綿織物について記述あり。「横曽根村など周辺の農村では、嘉永期から明治初期に奉公人を雇った機屋経営がなされ、塚越村近隣の数十か町村に青縞の製織が広まっていきました。」 (3)について p55「市域の領別村図」あり。年代不明。 (4)について p96「富士講は富士山に登山し浅間神社に参詣することを大義としています。したがって各地に浅間神社を勧請したり、登山参拝のできない人のために各地に富士山を模した富士塚を建設したりすることが流行しました。」 『川口市史 民俗編』(川口市 1980) (1)について p23-24「一川口市の伝統産業 (四)織物」「蕨に起こった機業は、漸次、横曽根・芝・前川方面に移された。旧前川村の斎藤幸蔵ほか二、三人の人たちが相図って青縞織を考案した。」 p28-31「明治初期の物産及び牛馬・荷車・舟保有数」新井宿村、西新井宿村にはないが、他の村では青縞、小倉帯、小倉男帯地、木綿女帯、小倉木綿帯、木綿縞、木綿縞織、木綿帯の記述あり。 p242-245「仕事着」の項にp245「機屋職人・女工の仕事着」あり。 p857-860 仕事歌としての「機織り唄」あり。 (4)について p118 山岳への講についての記述あり。新井宿村は取り上げていない。 p117-119「講」「榛名・大山石尊講が圧倒的に多い。それに次ぐのが、御岳・成田・三峰・古峯講などであり」 p694「その他の神のまつり」「稲荷以外の三峰・御嶽・山の神・水神・弁天・天神・八幡・庚申などの屋敷神を祀る日は、正月のことが多い。」「正月以外の特定の日にも祀るものがある。三峰さまは、毎年、講の代参者が三峰神社に行くときに、屋敷神に納めてある御眷属札を持って行き、新しいのを受けてきて納めている(芝)。」 p783-789「各講の代参とその日時」各講の代参方法について記述あり。 『双子織考』(〔潮地ルミ〕 1992) p9〔新井宿との記述はないが〕「二子織は一般に評判が良かったので、幕末から明治にかけて、塚越村をはじめ近隣の村々にも二子織を織る機屋が多くなったらしい。高麗・入間郡方面においても同様である。」「明治23年には北足立・新座・入間・高麗・中葛飾で生産されている。」 『川口市・鳩ヶ谷市 地図に刻まれた歴史と景観 明治・大正・昭和 3』(元木靖編著 新人物往来社 1993) (1)について p72「1907(明治40)年には神根村の機業戸数36戸、機台総数184、うち工場が15で、家内工業が21である(「埼玉県北足立郡事一班」)。」 p74「織物工業も1948(昭和23)年ころから徐々に復興した。」「1955(昭和30)年には、根岸に5、道合に4、神戸に1、新井宿に1の綿織物工業があり、別珍・風呂敷・座布団カバー・シーツ・タオルなど多種多様の製品を生産していた(「川口工業名鑑」)。」 (3)について p76明治15年頃の地図あり。p81大正10年頃の地図あり。p82昭和33年頃の地図あり。 『新編武蔵風土記稿 [第3期]第7巻 大日本地誌大系 8』(雄山閣 1977) (2)について p201-202「新井宿村」 p238-239「西新井宿村」村の歴史について記述あり。 『埼玉県市町村誌 第1巻』(埼玉県教育委員会 1972) (2)について p99 新井宿村の近世の領有関係及び町村制施行までの行政区画あり。 (3)について p88 川口市の明治四十三年、大正六年、八年の地図あり。 『川口市史 通史編 上巻』(川口市 1988) (4)について p788「近世後期になると、有名な寺社への庶民の参拝、霊山への登拝が非常に盛んになった。(中略)こうした参詣講は(中略)大きくは三つに分けることができる。(中略)三つには山岳修験信仰に発するもので、先の富士講、大山講、三峰講などを含めて、木曽御嶽講、湯殿山講(出羽三山)・金華山講などは、いずれも代表的なものであった。」 p793「富士塚」の項あり。新井宿村の富士塚については記述なし。 『埼玉の神社 北足立・児玉・南埼玉』(埼玉県神社庁 1998) (4)について p30-31「子日神社(ねのひじんじゃ〔ごんげんさま〕) 川口市新井宿155」「当初は隣の西新井と一村であった。」「分村以前は一寺一社であったと考えられる。」「氏子の間では、昭和60年まで榛名講・大山講・古峰講が行われていた。」とあり。 p40-41「氷川社(ひかわしゃ) 川口市西新井宿352」「氏子の間では、大山講・榛名講・古峰講を行っていたが、昭和63年にすべて取りやめてしまった。」 | ||||||||||||
回答プロセス (Answering process) | 1 川口市史を確認する。 2 川口市の地誌を調べる。 3 郡村誌、地名事典を確認する。『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 角川書店 1980) (2)について p83「新井宿」「〔近世〕新井宿村」あり。また「村の鎮守は子日権現社、寺院は新義真言宗多宝院」 p652「西新井宿」「〔近世〕西新井宿」 4 青縞、双子織(NDC分類〈586〉)について調べる。 | ||||||||||||
事前調査事項 (Preliminary research) | |||||||||||||
NDC |
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参考資料 (Reference materials) |
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キーワード (Keywords) |
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照会先 (Institution or person inquired for advice) | |||||||||||||
寄与者 (Contributor) | |||||||||||||
備考 (Notes) | |||||||||||||
調査種別 (Type of search) | 文献紹介 書誌的事項調査 | 内容種別 (Type of subject) | 郷土 | 質問者区分 (Category of questioner) | 個人 | ||||||||
登録番号 (Registration number) | 1000192617 | 解決/未解決 (Resolved / Unresolved) | 解決 |