レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年08月21日
- 登録日時
- 2018/08/29 10:54
- 更新日時
- 2019/12/26 10:34
- 管理番号
- 埼熊-2018-038
- 質問
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解決
守邦親王の死と小川町大梅寺の関連についての資料が知りたい。
- 回答
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以下の資料を紹介した。
『鎌倉将軍・執権・連署列伝』(細川重男編 日本史史料研究会監修 吉川弘文館 2015)
p201-205「守邦親王」
p204「『武蔵国風土記稿』には、後深草天皇の第三皇子、もしくは守邦の庶子と伝わる梅皇子と呼ばれる皇族が大梅寺(現埼玉県比企郡小川町)を建立し、永仁三年(一二九五)九月十九に薨じたとある。(中略)伝承の内容はきわめて曖昧であり、にわかに信じがたい説ではある」とあり。
『新編武蔵風土記稿 [第4期]第10巻 大日本地誌大系 16』(蘆田伊人編集校訂 雄山閣 1996)
p8「大塚村」の「大梅寺」に「建治二年後深草院第三皇子、梅皇子の建立し、永仁三年薨じ玉ひしを、当寺に葬りて」とあり。
『小川町の歴史 別編 民俗編』(小川町編 小川町 2001)
p520「大梅寺」
寺伝として「鎌倉幕府の滅亡により、最後の将軍であった守邦親王が難を避けてこの地に逃れ来て、慈光寺や上古寺の東王寺に仮寓したのち、猿尾氏の援助によって梅岑寺に移って再挙を謀ったものの、病を得てなくなり、大梅寺の住職円了によって手厚く葬られたという話も伝えている」とあり。『新編武蔵国風土記稿』説も記載あり。
『埼玉宗教名鑑』(産報通信社出版局編 埼玉新聞社 1978)
p353「大梅寺(曹洞宗)」
「後深草天皇の第3皇子梅皇子の開基」との記述あり。
大塚仲太郎「守邦親王に関する文書」(『埼玉史談(旧版)2-5』p336-338 埼玉郷土会 1931.5)
「新編武蔵風土記稿」「大梅寺中興四世天和和尚の手記」「兵家茶話」「小川町旧家久保大澤 両家の古文書」「武蔵志」「勤進録」を引用し、p338で「思ふに守邦親王は正慶中当地に下向し、八幡神社を勧請し、薨去の時は大梅寺にて葬りしものの如し」としている。
- 回答プロセス
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1 自館目録を〈守邦親王〉で検索する。
2 町史を確認する。
3 埼玉県内の寺院に関する資料を調査する。
4 埼玉関係雑誌記事索引を〈守邦親王〉で検索する。
大塚仲太郎「守邦親王に関する文書」(『埼玉史談(旧版)2-5』p336-338 埼玉郷土会 1931.5)
5 4の資料「守邦親王に関する文書」で引用された『新編武蔵風土記稿 [第4期]第10巻 大日本地誌大系 16』(蘆田伊人 雄山閣 1996)を調べる。
ウェブサイト・データベースの最終アクセス日は2018年08月21日。
- 事前調査事項
- NDC
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- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
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- 『鎌倉将軍・執権・連署列伝』(細川重男編 日本史史料研究会監修 吉川弘文館 2015) , ISBN 9784642082860
- 『新編武蔵風土記稿 [第4期]第10巻 大日本地誌大系 16』(蘆田伊人編集校訂 雄山閣 1996) , ISBN 4-639-00017-0
- 『小川町の歴史 別編 民俗編』(小川町編 小川町 2001)
- 『埼玉宗教名鑑』(産報通信社出版局編 埼玉新聞社 1978)
- 『埼玉史談(旧版) 2-5』(埼玉郷土会 1931)
- キーワード
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- 小川町-埼玉県
- 大梅寺(小川町)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000241388