レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年10月22日
- 登録日時
- 2017/05/24 10:59
- 更新日時
- 2017/07/11 11:25
- 管理番号
- 埼熊-2017-004
- 質問
-
解決
熊谷市銀座にあるイナリ神社(「トウカンギ」の異称あり)の詳しい歴史が知りたい。水害にあったこともあると言うが、いつの頃か不明である。
- 回答
-
以下の資料に記述があり、これを紹介した。
『熊谷市史 後篇』(熊谷市 1964)
「第28章 第1節 神社」
p332-333 「その他の社 無格社」の一覧表中に「稲荷木伊奈利神社〔由緒〕創立年月不詳。文明18年(1486)以後建設されたものであるが、宝永元年(1704)洪水のため社殿流失し同年再建した。大正8年社殿改築し、昭和4年拝殿建設昭和6年社務所を新設したが昭和20年戦災のため焼失した」とあり。
『大里郡神社誌』(埼玉県神職会大里郡支会編 国書刊行会 1984)
p29 「大里郡熊谷町大字熊谷字と通 無格社 伊奈利神社
一 祭神 倉稲魂命
一 由緒 創立年月詳ならざるも古老の口碑に因るに文明18年以後に係るものにして宝永元申年八月大洪水の為に社殿流亡し同年再建す
一 社殿 神殿
一 境内 四十三坪」とあり。
『熊谷市銀座史誌』(渡辺和則著 熊谷市銀座史誌発行後援会 1975)
「第二章 旧跡をたずねて 1稲荷木伊奈利神社」
p46-51 「銀座の伊奈利社は、稲荷木伊奈利神社(とうかっきいなりじんじゃ)と俗称され、或は白鬚(しらひげ)伊奈利社ともいい、白鬚神社と同意義と考えられる。(略)大字熊谷と通六八五番地にあり、現在の土地面積は202.04坪(約6,679平方メートル)であるが、明治8年-9年頃の熊谷社寺雑図集(市立図書館所蔵)によると約570坪(18,810平方メートル)という広大な面積である。(略)明治39年、北埼玉郡下忍村の知能田伊兵衛が稲荷社の信仰厚く、自費を投じて当社の繁栄に務めたことが、「知能田翁頌徳碑」として永く境内に建立されている。」とあり。
- 回答プロセス
-
1 神社関係資料を確認する。
『埼玉の神社 大里 北葛飾 比企』(大宮 埼玉県神社庁 1992)
p16-17 「6 伊奈利神社 いなりじんじゃ〔とおかっきいなり〕」
「稲荷木〔とおかつき〕伊奈利神社という名で人々に知られている。この、「稲荷木」という言葉については、はっきりとした伝えはないが、鎮座地周辺の古称と見られており、当社の創建とも深いかかわりがあると思われる。」とあり。
『大里郡神社誌』(回答資料)
2 地誌類を確認する。
『埼玉県の地名』(平凡社 1993)
索引に「伊奈利神社」はなし。「銀座」は「熊谷宿」「平戸村」にあるが、伊奈利神社の記述はなし。
『新編武蔵風土記稿 第11巻』(雄山閣 1977)
p77 「平戸村」に「稲荷社 同寺〔超願寺〕持」とあるが、「伊奈利神社」と同一かは不明である。
p86 「熊谷町」に「稲荷社三宇」とあるが、「伊奈利神社」が含まれるのかは不明である。
『熊谷市史 後篇』(回答資料)
『熊谷市銀座史誌』(回答資料)
3 「とうかき」を確認する。
『日本国語大辞典 第9巻』(日本国語大辞典第二版編集委員会/編 小学館 2001)
p909 「とうか 稲荷」稲荷(いなり)の音読み。①稲荷の神。②狐の異名。〔方言〕きつね(狐)。(略)埼玉県秩父(略)◇とうかん 千葉県(略)」とあり。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 神社.神職 (175 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 参考資料
-
- 『熊谷市史 後篇』(熊谷市 1964)
- 『大里郡神社誌』(埼玉県神職会大里郡支会編 国書刊行会 1984)
- 『熊谷市銀座史誌』(渡辺和則著 熊谷市銀座史誌発行後援会 1975)
- キーワード
-
- 熊谷
- 神社
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000216489