レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019/03/15
- 登録日時
- 2019/04/04 00:30
- 更新日時
- 2019/04/06 00:30
- 管理番号
- 6001037577
- 質問
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解決
大阪が港町として発展し、大都市となった理由がわかるような資料があるか。
- 回答
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港町として発展してきたという視点から記述のある資料をご紹介します。
・『大阪港史 第1巻』(大阪市港湾局 1959)
「開港以前の大阪」(p.1-31)として大阪の地形や地理的位置、古代の「難波津」以来の明治以前の港の歴史が記述されており、次のような記述があります。
「このような地形を有した大阪の土地は、気候極めて温暖で、先史時代においても山の幸、海の幸にも恵まれた美し(うまし)土地であったところから早くから開発されるところとなった。」(p.70)
「上古時代になって、大阪の地理的位置が瀬戸内海の東端に位して、かつ大和への陸路出発地点となり、朝鮮・中国への往来の基点ともなった。また中世に至って都が京都に移ってからも、なお大船の発着地点であった。」(p.70)
「秀吉はこの地理的地位のすぐれた点を早くから看取し、天照10年(1582年)信長自刃の後、その翌年早くも大阪城の工事を進めたが、また船場・島之内などの低地帯の開発にも努め、ことにその水利の便に努めたため、やがて徳川時代には「出船千艘」「入船千艘」と賑い、天下の商権の七分までを握る繁栄振りを示した。」(p.71)
・『人づくり風土記 27(49) 大阪の歴史力』(会田雄次/監修 農山漁村文化協会 2000.3)
p.35に次の記述があります。
「蓮如が無人の山林にすぎなかった”摂州東成郡生玉ノ庄内大坂”に目をつけ、明応5年(1496)に大坂御坊を建設したのは、ここが堺(堺市)・京都などを結ぶ交通の中継点にあたっており、摂河泉の布教に便利であったからだといわれています。」
第3章は「全国経済の要 モノ、カネ、人が集中する”天下の台所”」として、大坂中心の全国的流通体制の成立、大坂経済に重要な役割を果たした蔵屋敷、中央市場としての大坂の全国の生産地に対する影響力、「金融センター」としての大坂、生産基地・消費市場としての大都市大坂といった内容が記述されています(p.128-165)。
・『大阪 日本歴史新書』(宮本又次/著 至文堂 1957.2)
第9章は「大阪の再生」として、江戸時代に繁栄した大阪が明治に入って衰微し、それが工業都市として「再生」していったことが記述されています(p.214-226)。
その他、次の資料にも古代から現代にいたる大阪の盛衰が描かれています。
・『大阪府の歴史 県史27』(藤本篤/著 山川出版社 2015.1)
・『大阪の歴史』(井上薫/編 創元社 1986.9)
・『大阪港物語 人、モノ、情報の集まるみなと』(羽原一三/著 関西新聞出版局 1988)
古代の「難波の津」から現代の大阪港にいたる港のあゆみが記述された読み物です。
大阪市の地理的な条件については、次の資料にも詳しい記述があります。
・『新修大阪市史 第1巻』(新修大阪市史編纂委員会/編集 大阪市 1988.3)
第1章が「大阪の自然と居住空間」として、大阪の地理に関する記述があります。
・『日本の文化地理 12 講談社版 大阪』(講談社 1970)
〔事例作成日:2019年3月15日〕
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216 10版)
- 参考資料
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- 大阪港史 第1巻 大阪市港湾局 1959
- 人づくり風土記 27(49) 会田/雄次∥監修 農山漁村文化協会 2000.3
- 大阪 宮本/又次∥著 至文堂 1957.2
- 大阪府の歴史 第2版 藤本/篤‖著 山川出版社 2015.1
- 大阪の歴史 井上/薫∥編 創元社 1986.9
- 大阪港物語 羽原/一三∥著 関西新聞出版局 1988
- 新修大阪市史 第1巻 新修大阪市史編纂委員会∥編集 大阪市 1988.3
- 日本の文化地理 12 講談社 1970
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 大阪
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000254568