レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年10月07日
- 登録日時
- 2016/02/23 14:43
- 更新日時
- 2016/05/18 14:54
- 管理番号
- 埼久-2015-141
- 質問
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解決
昭和22年の半ばに、昭和天皇がマッカーサーに沖縄の分割についてのメッセージを送った。この時の新憲法下では、天皇のこのような政治的行為の際には内閣の助言と承認が必要なはずだが、それをしたという記録はあるか。
- 回答
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「天皇メッセージ」と憲法との関連について書かれている下記の資料を紹介した。
『昭和天皇・マッカーサー会見』(豊下楢彦著 岩波書店 2008)
p55「天皇の憲法感覚」の項
「それでは、マッカーサーとの第四会見における「発言」から「沖縄メッセージ」に至るまでの天皇の言動は、どのようにとらえられるべきであろうか。言うまでもなくこれらは明白な「政治的行為」であり、憲法の規定に基づく本来の外交主体の〝頭越し〟になされた典型的な〝二重外交〟そのものであろう。とりわけこの時期が、吉田自由党の敗北から史上初の社会党首班内閣の成立という激動期であったことに注意が向けられねばならない。
この天皇の「占領外交」について、占領期においてはマッカーサー自身が超憲法的な存在であり、従って講和条約の締結までは憲法が効力を停止したも同然であって簡単に憲法違反ときめつけることはできない、との議論もある(秦郁彦『裕仁天皇五つの決断』)」
《国会図書館デジタルコレクション》
「「天皇メッセージ」と沖縄の苦渋」(マスコミ市民 (248)/(249)/(250)p232-235 マスコミ市民フォーラム 1989.4)
(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3464161 国会図書館)国立国会図書館/図書館送信参加館内公開
118-119コマ 「また、このメッセージは、現行憲法施行(一九四七年五月三日)後になされたこの提案は、憲法第四条の天皇の国政関与の禁止規定から逸脱した明白な「違憲行為だ」と、野党側は政府を追及」とあり。
- 回答プロセス
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《Google》(https://www.google.co.jp/ Google)を〈天皇 & マッカーサー & 沖縄〉などで検索する。
質問事項に該当する記載が多数あり。「沖縄メッセージ」「天皇メッセージ」などと呼ばれていることがわかる。
メッセージの掲載されている文書は1979年に発見され、個人ブログなどから沖縄公文書館のサイトで公開されていることがわかる。
関連する図書を調査
『昭和天皇・マッカーサー会見』(回答資料)
『裕仁天皇五つの決断』(秦郁彦著 講談社 1984)
p193 「天皇メッセージと沖縄」の項あり。質問に関する記述なし
『昭和天皇独白録』(寺崎英成[ほか]編著 文藝春秋 1991)
p331 昭和二十二年九月十九日の記録に、「シーボルトニ会ふ」などの記述はあるが、質問に関する記述なし。
《国会図書館デジタルコレクション》(http://dl.ndl.go.jp/ 国会図書館)を〈沖縄メッセージ〉で検索するが該当なし。
〈天皇メッセージ〉で検索すると、5件ヒットする。
「「天皇メッセージ」再論--戦後外交資料の読み方」(『世界 407号』p104-113 岩波書店 1979.10)
質問に関する記述なし。
「天皇メッセ-ジから新ガイドライン中間報告まで(資料)」 (『世界 (別冊)641号』p217-276 岩波書店 1997.10)
「天皇メッセージ」の項あり、質問に関する記述なし。
「一九四七年の「天皇メッセージ」」(「未来をひらく教育 (77)」p57-60 全国民主主義教育研究会 1989.7)
国会図書館内限定のため、未確認。
ウェブサイトの最終アクセス日は2015年8月23日。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 国家の形態.政治体制 (313 9版)
- 系譜.家史.皇室 (288 9版)
- 参考資料
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- 『昭和天皇・マッカーサー会見』(豊下楢彦著 岩波書店 2008) , ISBN 978-4-00-600193-3
- キーワード
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- 太平洋戦争
- 天皇
- 内閣
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 社会
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000188456