レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015/12/12
- 登録日時
- 2016/01/06 00:30
- 更新日時
- 2016/01/21 10:11
- 管理番号
- 6000025541
- 質問
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解決
重要文化財「東福寺所伝宋拓本碑文」に「宸奎閣碑」という言葉が出てくるが、「宸奎閣」とは何か?
- 回答
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『書跡名品叢刊 [171] 宋・蘇東坡・宸奎閣碑』(ニ玄社)p.91に、「仁宗皇帝(在位1022~1063)は篤く禪宗に帰依し、廬山の高僧懷璉(えれん)を都に召して十方城淨因禪院に住まわせ、佛法の大意を尋ねた。問答がはなはだ意にかなって、大覺全禪師の號を賜った。そして十七篇の頌詩を新書した。至和中(1054~1055)に歸老を乞うたが許されず、英宗の世となった治平三年(1066)にいたつて、ようやく四明(浙江)の阿育王山廣利寺に居住することとなつたのである。四明の人々は禪師のために、熙寧三年(1070)に寺の境内に大きな樓閣を寄進し、賜った頌詩の宸翰を奉ずところから「宸奎閣」と名付けたのである。」と書かれている。
「宸翰(しんかん)」とは『大漢和辞典 巻三』(大修館書店)p.3306によると「帝王の書いた文書」。
仁宗皇帝が禅宗の高僧懷璉を褒めて詩を書いた。詩を賜った懷璉が四明にある廣利寺に住むことになった時、人々が寺の境内にその詩を収める楼閣を寄進してくれた。楼閣の名が「宸奎閣」、ということのようだ。
なお、仁宗(じんそう)皇帝は、『日本大百科全書 12』(小学館)p.601-602に、「(1010-63) 中国、北宋の第四代皇帝(在位1022~63)」とある。懷璉(えれん)は、『禅学大辞典 上巻』(大修館書店)p.106に、「(1009-1090) 雲門宗。明州(浙江省)育王山に住す。(中略)宋、皇祐年中(1049-1054)仁宗に召されて、佛法の大意を説き、大覚禅師と賜号された。大覚懐璉と通称される。」と書かれている。
- 回答プロセス
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『重要文化財 23 書蹟・典籍・古文書Ⅵ』(毎日新聞社)p.155に拓本の写真は載っているが写真が小さいこともありどれが該当するのかわからない。『中国法書選 46 蘇軾集』(ニ玄社)には掲載なし。
大阪府立図書館にレファレンス依頼し、載っていそうな『書跡名品叢刊 [171] 宋・蘇東坡・宸奎閣碑』の内容を確認してもらったところ、府立中央図書館より、記述ありとの回答を受けて借用依頼した。
- 事前調査事項
- NDC
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- 書.書道 (728 9版)
- 芸術政策.文化財 (709 9版)
- 参考資料
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- 『禅学大辞典上巻』駒沢大学内禅学大辞典編纂所/編(大修館書店) (p.106)
- 『日本大百科全書12』(小学館) (pp.601-602)
- 『大漢和辞典巻3』諸橋 轍次/著(大修館書店) (pp.3306)
- キーワード
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- 宸奎閣(シンケイカク)
- 宋(ソウ)
- 仁宋皇帝(ジンソウコウテイ)
- 懷璉(エレン)
- 蘇東坡(ソトウバ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000186764