レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年09月25日
- 登録日時
- 2019/11/02 00:30
- 更新日時
- 2019/11/15 18:19
- 管理番号
- 秋田-2361
- 質問
-
解決
江戸時代における秋田県の、各村々の場所や境界線が分かる地図や、その村の成り立ち、領主の変遷について分かる資料はあるか。
- 回答
-
村境が分かる地図や村の成り立ち、領主の変遷の資料については『秋田県立公文書館』に多く所蔵されている。
秋田県立図書館の所蔵資料については下記のとおりとなる。
①各村々の場所や境界線が分かる地図について
『羽後川連村高橋家の経営 秋田藩に於ける在方商人の研究』(半田市太郎/著、A672/4/)資料番号:111576252
p271-273「秋田藩における在方商人の種類と高橋家」より
p272「第1図 川連村附近略図」あり。川連村付近の各村の記載はあるが境界線の記載はなし。
『正保出羽一国御絵図縮尺図』(42cm、49枚、A290/246/)資料番号:111744652
秋田県の各村の場所について記載あり。手書きの地図のため境界線については記載なし。
②各村々の成立及び、領主の変遷について
『秋田藩における新田開発 その地理学的研究』(三浦 鉄郎/著、1983.10、612.1/ミア/)資料番号:111330668
p59-65「秋田藩における新田開発の地域的考察」より
p63 渡部斧松は開田に成功すると、家ノ下村からその後背の高度50mの上台地に約20戸を目標に新村(斧松村)の建設を行った。とあり。
p68「開発過程と渡部村の建設」p71「渡部村の設定」
p78「二田村の設定と地割」p87「四ツ小屋村の成立と四ツ小屋堰」
『横手市史』(横手市/編、2010、A214.8/120/10)資料番号:129473682
p334-407「村落社会と村の暮らし」
『校訂 解題 久保田領軍邑記』(柴田次雄/編、2004、無明舎出版、212/シク/郷)資料番号:124326851
p9- 各郡の村の名称、説明の記載あり。
『仁賀保町史 普及版』(仁賀保町教育委員会/編・発行、A214.6/187)資料番号:129000113
p59 仁賀保の領主成り立ちの記載あり。
p66-67 江戸時代に一つの村を複数の領主が分割して知行する村(相給村)について記載あり。
p68 「江戸時代の仁賀保」という地図あり。
内訳:仁賀保誠政(しげまさ)領、仁賀保誠次(しげつぐ)領、本荘藩、矢島藩、仁賀保両家相給、仁賀保・矢島・本荘相給
p69 二千石家、千石家の歴代領主の記載あり。
『南外村史 通史編』(南外村史編集委員会/編、2003.6、214.7/ナナ/1郷)資料番号:124312729
p164- 「第二節 初期の秋田藩政と南外地域」
p190 図「六郡郡邑に見られる南外地域の支郷」村境なし。
p197 南楢岡村歴代肝煎一覧
p198 外小友村歴代肝煎一覧
南楢岡村絵図、外小友村絵図も記載あるが村境については確認できず。
『協和町史 上巻』(協和町史編さん委員会/編、2001.3、214.7/キキ/1郷)資料番号:128772134
「御山守巡回図面」「荒川村山の絵図」記載あり。村境の記載なし。
p169-306 「第一章 近世の協和」
p189「大身代官と協和地域」より
明暦二~三年ころの藩蔵入地と代官の名前を記している「御蔵入帳」(秋田県公文書館蔵)によると
『西目町史 通史編』(西目町史編集員会/編、西目町、2001、A214.6/148/1-1)資料番号:128708120
p179 「戦国末期から江戸初期 秋田地方の領主の変遷概念表」記載あり。
p181 「由利領の構成」記載あり。各村の名前記載あり。
p211 「村名一覧」記載あり。正保4(1647)~慶応4(1868)
p213 「各村の組頭名」記載あり。(文化5年~慶応4年)
『象潟町史 通史編 上』(象潟町/編・発行、2002、A214.6/133/3-1)資料番号:128782034
p393-430 「複雑な領主の変遷」記載あり。
p417 「仁賀保氏領の村名」一覧記載あり。
『能代市史 通史編2 近世』(能代市/編、能代市、2018.3、214.3/ノノ/2郷)資料番号:129886305
→p1-98 藩政初期の「町」と「村」
p3 所領配置図
p65 歴代多賀谷当主表
p86 近世初期の能代の村むら
p89 近世中期の能代の村むら 内陸部の村むら
p90 内陸部の村むらの図
p92-94 日本海沿岸部の村むら 図あり
p181-266 近世能代の「村」
p193-194 村むらの支配
p194-197 代官による村の支配
p196 宝暦8年(1758)の領内の代官表 能代の代官支配区分表あり
p232-238 各村成立の経緯
p377 秋田藩領略図
『大正寺村史 縮刷版』(大正寺村青年会/編、相沢金次郎、1983.11、A214.5/129/)資料番号:110764511
→p2-3 第二章 村名の起源
P8-11 第二編 藩政時代
第四章 境界附軒別石高
郷土資料p2 村名の起源
p3 藩政行政 肝煎家名 向野の所属
『里見村史』(里見村/編、里見村、21-18/252/)資料番号:110769148
→第一篇 沿革
第一章 維新以前ニ於ケル沿革 肝煎人名
第三章 位置 境界
『阿仁町史』(阿仁町史編纂委員会/編、阿仁町、1992.10、214.2/アア/郷)資料番号:124029703
→p97-145 第三章 江戸時代の阿仁地方
第一節 佐竹氏の移封と秋田藩
p99-101 佐竹義宜と阿仁
p107-112 藩財政の変遷
付録として「阿仁銅山略絵図(村名記載)」あり
『前田村郷土史』(藤島勇太郎/監修、森吉町史編纂会、2004.3、214.2/モア/郷)資料番号:128965332
→p19-21 第二節 維新以前の郷土
p142-143 大阿仁小ヌ沢の由来 附 砂子沢の由来
『上小阿仁村史 通史編』(上小阿仁村史編纂委員会/編、214.2/カカ/)資料番号:128302494
→p155-311 第四章 近世の上小阿仁
p158-164 村の領主の新・旧交代
p165-175 佐竹氏(秋田藩)の新しい政治と村
p176-202 上小阿仁村々の政治
p189 図4-1村々の支配と協力の組織
p193 図4-2享保期の村の分布
p203-232 地誌・紀行文に見る上小阿仁の村々
p206-207享保八年(1723)の調査報告書に見る上小阿仁村
p207-211 「郡邑紀」に見る上小阿仁村
p274-311 上小阿仁村々の地誌
『鷹巣町史 第1巻』(鷹巣町史編纂委員会/編纂、鷹巣町、1988.3、214.2/タタ/郷)資料番号:111326286
→p254-255 藩政期の概観 秋田郡奉行歴代
p256 大館城代歴代
p376-518 区域史
『大館市史 第2巻 近世編』(大館市史編さん委員会/編、大館市、1978.3、214.2/オオ/2郷)資料番号:124017542
→p1-137 佐竹義宜の国替えと大館
p16-20 大館佐竹氏歴代
p138-188 領内の検地と新田開発
p147 新村の誕生
p148-180 村々の様子
p150-151 享保14年(1729)秋田郡比内村々の状況について表あり
『田代町史 本巻』(田代町史編集委員会/編、田代町、2002.8、214.2/タタ/1郷)資料番号:128796216
→p227-298 近世の田代
p228-234 領内の経営と田代の村々
p233 田代地域の肝煎一覧
『太田町史 通史編』(太田町史編さん委員会/編、大仙市、2007.3、214.7/ダオ/郷)資料番号:129150652
→p166-256 近世の太田 秋田藩の成立とわが村々
p175-179 郷村支配の変遷
p178-179 第2表◎太田町旧村の推移
p180-194 太田地域の村始め
p218-237 村の運営 肝煎・長百姓と寄合
p223-229 第11表 肝煎の変遷
『太田町史 地誌・年表編』(太田町史編さん委員会/編、大仙市、2007.3、214.7/ダオ/郷)資料番号:129150660
→太田町字切図あり
p15~ 永代村
p26-27 村の地名
p29 村の役職 肝煎人名
p31~ 川口村
p46-48 村の地名
p51 村の役職 肝煎人名
p53~ 東今泉村
p60-61 絵図に見る東今泉 年代は江戸時代と推定される。と記載あり
p66-67 村の地名
p69 村の役職 肝煎人名
p71~ 太田村
p91-96 村の地名
p101-103 村の役職 肝煎人名
p105~ 小神成村
p114-115 親郷肝煎を務めた六郎左衛門について
p119-122 村の地名
p124-125 村の役職 肝煎人名
p127~ 斉内村
p142-146 村の地名
p149-150 村の役職 肝煎人名
p151~ 横沢村
p158-159 『梅津政景日記』にみる横沢
p168-170 村の地名
p173 村の役職 肝煎人名
p148~ 中里村
p178-179 宝永四年の絵図
p189-191 村の地名
p193 村の役職 肝煎人名
p195~ 三本扇村
p204-205 絵図に見る三本扇
p207-210 村の地名
p213-214 村の役職 肝煎人名
p215~ 駒場村
p231-233 村の地名
p236-237 村の役職 肝煎人名
p239~国見村
p259-267 村の地名
p269-271 村の役職 肝煎人名
『増毛町史』(増毛町史編纂委員会/編、増毛町、1974.4、A212/49/)資料番号:110756137
→p237-313 藩幕時代
p285-297 秋田領となる増毛
p297-300 秋田藩の蝦夷地経営
『十和田湖町史 上巻』(十和田湖町史編纂委員会/編纂、十和田湖町、2004.12、A214.1/59/1)資料番号:12009403
→p605-617 近世大名としての南部氏の成立
P634-648 近世南部藩の成立
『十和田湖町史 中巻』(十和田湖町史編纂委員会/編纂、十和田湖町、2004.12、A214.1/59/2)資料番号:129009411
→p202-216 幕末の村 沢田村、奥瀬村、法量村について表あり
『皆瀬村史』(皆瀬村教育委員会/編、1993、A214.9/62/)資料番号:128110103
p191-194 慶長の頃よりの肝煎在任者の表あり
p200-207 戸数・人口 各村々の戸数、人口の表あり
p216-220 畑等村の分村の記載あり
『金浦町史 上巻』(金浦町史編さん委員会/編、1990.12、214.6/ココ/1)資料番号:124022138
p89-64
“江戸時代における金浦旧六ヵ村領主変遷表”
各年代の領主と事項・出典の記載あり
p241-305
“大竹村史”
最初の項に村の起こりと地名の由来の記載あり。(字名についての記載箇所あり)
p306-372
“前川村史”
最初の項に村の起こりと地名の由来の記載あり。(字名についての記載箇所あり)
p373-422
“赤石村史”
村の起源、地名の由来についての記載あり。
p423-626
“金浦村史”
地名の起源、地名の由来について記載あり。
p627-671
“飛村史”
地名の起源、地名の由来について記載あり。
p672
“黒川村史”
地名の起源、地名の由来について記載あり。
『土崎港町史』(秋田市役所土崎出張所/編、1979.6、214.5/アツ/)資料番号:111326690
p37-40
“土崎港湊と二つの古地圖”
“出羽十二郡、詰めたる圖”と“國郡全圖”の地図の記載、解説あり。
p40-44
“土崎港は何處が発祥地か”土崎港の歴史についての記載あり。
p39-64下段
“古地圖にあらはれた各町の歴史を全體的に見る”各町の歴史を地図をもとに記載あり。
p53-56
“土崎湊湊の名称”
“土崎”の名称の由来についての記載あり。
p122-139
“各町の沿革”の箇所に、町名の由来や町の様子の記載あり。
p204-214
“地境の論争”の箇所に、村境についての記載あり。
『増田町郷土史』(増田町郷土史編纂委員会/編、1972、214.8/ママ/郷)資料番号:111326955
p137-142 村の組織 増田の歴代の肝煎の名前の記載あり。
p142-143 平鹿十郷と郡奉行制 平鹿十郷図あり
『雄勝町史』(雄勝町郷土史編纂委員会/編、1988、214.9/オオ/郷)資料番号:124024928
p98-171 雄勝町の郷村風土記 各村々の創始、歴史、名前の由来等の記載あり。
口絵 「中村古絵図」村境、散村の状態がわかる(元禄15年)
『秋田県史 〔通史編〕第2巻 近世編』(秋田県/編、1977.4、210/アア/)資料番号:112128053
p69「最上氏の由利支配」p89「本田氏の移封」p91「岩城・六郷・仁賀保・内越諸氏の入部」
p95「生駒氏の入部」p96「天領」
- 回答プロセス
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各市町村史、地図を調査。
- 事前調査事項
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角川日本地名大辞典(角川書店)
日本歴史地名大系(平凡社)
藩史大事典(雄山閣)
- NDC
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- 歴史 (2)
- 参考資料
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- 羽後川連村高橋家の経営 秋田藩に於ける在方商人の研究半田市太郎/著
- 秋田藩における新田開発三浦 鉄郎/著古今書院
- 横手市史通史編横手市/編横手市
- 校訂・解題久保田領郡邑記柴田 次雄/編無明舎出版
- 秋田県史〔通史編〕第2巻秋田県/編秋田県
- キーワード
-
- 秋田藩(アキタハン)
- 領主(リョウシュ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 所蔵・所在調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000263604