レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年08月18日
- 登録日時
- 2019/10/02 00:30
- 更新日時
- 2019/10/11 17:25
- 管理番号
- 秋田-2334
- 質問
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解決
「明治22年、旧藩主佐竹義生の来秋の際には秋田師範と秋田中学校との試合が行われている」(調査済み資料)とあるが、「旧藩主佐竹義生の来秋」および「秋田師範と秋田中学校との試合」の具体的な期日を知りたい。また、根拠となる具体的な資料名も教えてほしい。
- 回答
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下記の内容と資料を案内。
「旧藩主佐竹義生の来秋」は7月6日から8月9日、「秋田師範と秋田中学校との試合」は7月11日。
秋田魁新報(マイクロフィルム)
・明治22年7月 9日2面 「去六日從五位様御着秋せらるる」
・明治22年7月13日3面 「一昨日(中略)從五位候の招魂社参拝(中略)次に運動會(中略)中學生徒の綱引、ベースボールの遊技」
・明治22年8月13日2面 「九日午前七時三十分候の一行院内發車歸京の途に就かれし」
- 回答プロセス
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1.調査済資料より、出典とされる資料を確認
×『秋高百年史』(秋高創立百周年記念事業実行委員会「秋高百年史」編纂委員会/編、秋田県立秋田高等学校同窓会、1973、376.4/シシ/郷)資料番号:124018854
→日付については記載なし
2.所蔵資料検索(キーワード「野球」、資料種別「郷土」)、NDC分類780(スポーツ)の郷土資料書架をブラウジング
・『秋田県立秋田高等学校野球史 一世紀を超えて』(秋田高校野球部OB会矢留倶楽部/編、秋田県立秋田高等学校野球部OB会矢留倶楽部、1997、A780/446)資料番号:128495454
→P3「こうして明治二十二年、招魂社(現護国神社)に於ける秋田師範学校との試合(秋田高校の歴史に公式に登場する試合)に至るのである。この試合は旧藩主「佐竹義生候」が「戊辰の役」戦没者を慰めるために来秋した折に開かれた運動会の一種目として行われたもので、プログラムの中の綱引きなどと同等に扱われている。」と記載があるが、日付はなし。
・『翔球 秋田県高等学校野球史』(秋田県高等学校野球連盟/編、秋田県高等学校野球連盟、1991、783.7/アシ/郷)資料番号:124017021
→P16に下記のとおり記載あり
県内で、最も古い「野球史」は、昭和9年5月筆録の「秋田体育」へ連載した遠藤孝三氏の「秋田県野球史稿」ではないだろうか、それとても、明治20年代に、野球が日本に普及してから、凡そ50年を経過した後の記録である。従って、明治期の記録については正確さは規し得ない。しかし、他に比較する資料がない
3.『秋田県野球史稿』を確認
所蔵資料検索→なし
秋田県立図書館デジタルアーカイブで検索→雑誌『秋田体育』(第23号-第35号)で連載されていたことを確認
×『秋田体育 1号-61号』(秋田県体育協会/編、秋田県体育協会、1932.7-1937.8、A289/1730/1-61)資料番号:128763794
4.秋田魁新報マイクロフィルムを調査
→該当記事を発見
×秋田県立図書館デジタルアーカイブ(キーワード「佐竹義生」「義生」)
×『県内高校野球史』(著者、出版年不明、A780/75)資料番号:111590428
×『翔球 Ⅱ 秋田県高等学校野球史』(秋田県高等学校野球連盟/編、秋田県高等学校野球連盟、2013、780/アシ/2郷)資料番号:129589701
×秋田県史
×秋田市史
×『秋田県体育スポーツ年表』(和田忠/編著、公人の友社、1988、780/ワア/郷)資料番号:111303483
×『秋田のスポーツ 明治〜平成』(和田忠/編・著、秋田魁新報社、2003、780/ワア/郷)資料番号:128866696
×『秋田県近代総合年表』(無明舎出版/編、無明舎出版、1988、210/タズ/郷)資料番号:112406160
×『原稿 秋田県体育史稿』(楽眞子/著、出版年不明、A289/1717)資料番号:128763653
- 事前調査事項
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「明治期における秋田県での野球受容と統制について (PDF)」
『秋田大学教育学部研究紀要 教育科学部門』第43号、秋田大学教育学部、1992年
- NDC
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- 芸術 (7)
- 歴史 (2)
- 参考資料
- キーワード
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- 佐竹義生(サタケヨシナリ)
- 野球(ヤキュウ)
- ベースボール(ベースボール)
- 従五位(ジュゴイ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000262177