レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年01月30日
- 登録日時
- 2011/04/09 17:27
- 更新日時
- 2011/07/22 12:32
- 管理番号
- 名古屋市鶴-2011-002
- 質問
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解決
尾張の商人、伊藤次郎左衛門家について知りたい。
- 回答
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伊藤次郎左衛門家は松坂屋(名古屋店の商号は「伊藤屋」(1611年)」→「いとう」(1834年)→「いとう呉服店」(1900年)→「松坂屋」(1925年)と変更)の創業家で代々の当主が「次郎左衛門」の名前を継いでいます。伊藤次郎左衛門家に関する資料としては「那古野府城志」・「金鱗九十九之塵」に由緒が書かれているほか、わかりやすい資料としては『名古屋の商人伊藤次郎左衛門 呉服屋からデパートへ』(江戸時代初めから昭和前期(伊藤家15代当主祐民)まで)や松坂屋の社史などがあります。また、『揚輝荘と祐民』には参考文献が「伊藤次郎左衛門家関係」・「松坂屋関連」・「伊藤祐民関係」などにまとめられていて参考になります。その他、江戸時代の伊藤次郎左衛門家(伊藤屋)の世評がわかる資料として下記のものがありました。
・『尾張名所図会』→「京町通茶屋町 伊藤呉服店」の図があります。『松坂屋百年史』によると商号変更直後の「いとう」を描いているそうです。
・『(天保見聞)名府太平鑑』→「茶屋町伊藤のしらべに手抜きなし」(川柳)
・『青窓紀聞』→「伊藤とかけて仙台銭と解く 心ハ田舎出来でも日本通用」(天保丑ナゾナゾ)
・『鶏肋集』→天保11年(1840年)の「名古屋分限見立角力」(長者番付)では三家衆の伊藤次郎左衛門家が勧進元、内田家、関戸家が東西の大関にランクされています。
- 回答プロセス
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(1)当館作成の「江戸時代の尾張の人物を調べる」(なごやりさ~ち)の「町人を調べる」や「特定分野の人物を調べる 商人」などを参考に調査しました。
(2)調査の過程で江戸時代の史料を引用したものがいくつかありましたので、当館のコレクションに該当するものがないか調査したところ名古屋市史編纂資料の中にありました。これらは名古屋市史編纂室が明治末から大正のはじめに筆者したものです。
・『(天保見聞)名府太平鑑』→名古屋市史編纂資料[市16-105 87丁]、小寺玉晁による天保年間の記録です。
・『青窓紀聞』→名古屋市史編纂資料[市2-38-9 55丁]、水野正信による文化11年(1814)から明治元年(1868)までの記録です。
・『鶏肋集』→名古屋市史編纂資料[市3-22-1 19丁]、安井重遠による寛政2年(1790)から文久2年(1862)までの記録です。
- 事前調査事項
- NDC
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- 商業 (670 9版)
- 参考資料
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- http://www.library.city.nagoya.jp/img/reference/0101_1.pdf (「江戸時代の尾張の人物を調べる」)
- 『近世名古屋商人の研究』 林董一/著 名古屋大学出版会 1994年 p.164-168,276-277
- 『特別展大にぎわい城下町名古屋』 名古屋市博物館/編集 特別展「大にぎわい城下町名古屋」実行委員会 2007年 p.144
- 『名古屋城下町復元プロジェクト報告書』 名古屋城下町調査実行委員会/編集 名古屋城下町調査実行委員会 2007年 p.46
- 『名古屋叢書 第9巻』 名古屋市教育委員会/編 愛知県郷土資料刊行会 1983年 p.272
- 『名古屋叢書 第7巻』 名古屋市教育委員会/編集 愛知県郷土資料刊行会 1982年 p.67-68
- 『名古屋の商人伊藤次郎左衛門 呉服屋からデパートへ』 名古屋市博物館/編集 名古屋市博物館 2003年
- 『松坂屋百年史』 松坂屋 2010年 p.22-23,397
- 『揚輝荘と祐民 よみがえる松坂屋創業者の理想郷』 揚輝荘の会/編著 風媒社 2008年 p.216-217
- 『尾張名所図会 前編1 復刻』 ブックショップ「マイタウン」 1995年 p.84-85
- 『近世災害情報論』 北原糸子/著 塙書房 2003年 p.119-120 (『鶏肋集』について)
- 『名古屋城を記録せよ!』 名古屋市博物館/編集 名古屋市博物館 2008年 p.44 (『青窓紀聞』について)
- キーワード
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- 伊藤次郎左衛門
- 伊藤次郎左衞門
- 松坂屋
- いとう呉服店
- 伊藤屋
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000084401