レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021/02/11
- 登録日時
- 2021/07/02 00:30
- 更新日時
- 2021/07/12 15:46
- 管理番号
- 秋田-2599
- 質問
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解決
矢島町史等で、8000石から15000石の時代の生駒氏について知りたい。
藩主や藩士について分かるものがあると良い。
- 回答
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次の資料を案内。
①『矢島町史 上巻』(矢島町史編纂委員会/共編、1979、214.6ヤヤ/1郷)資料番号:124581984
②『パイオニア 第97号』(関西地理学研究会、2011、214.6/カパ/郷)資料番号:129762282
③『矢島の古文書散歩 第23集』(矢島町教育委員会/編、2000、A214.6/62/23)資料番号:129490496
④『秋大史学 21号・22号』(秋田大学史学会/編、1973、A205/7/20-27)資料番号:110724697
⑤『生駒藩史 -出羽、讃岐―』(姉崎岩蔵/著、矢島公民館、1976、214.6/カイ/郷)資料番号:124129727
⑥『矢島の歴史』(矢島町教育委員会/編、1969、214.6/ヤヤ/郷)資料番号:129010609
⑦『秋田大百科事典』(秋田魁新報社/編集、1981、031/アア/郷)資料番号:128639200
- 回答プロセス
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①『矢島町史 上巻』(矢島町史編纂委員会/共編、1979、214.6ヤヤ/1郷)資料番号:124581984
⇒p.293-302 矢島歴代藩主系譜略あり。
p.295-296 「生駒高清 矢島二代の主」の項に、「万治二年、六月、家督を継ぎ二千石を父高俊の遺言によって舎弟俊明に分知し、伊勢居地家を興させた。よって、八千石を領し、格式は交代寄合に列して柳の間詰めであった。」とある。
p.307-316 詳しい石高や領地についての記述あり。
p.316-317 「交代寄合」と「柳の間詰」について記述あり。
p.355-360 「矢島国家老家略譜」の項に、二代高清から六代親賢までの家老と、家老に登用された家についての記述あり。
②『パイオニア 第97号』(関西地理学研究会、2011、214.6/カパ/郷)資料番号:129762282
⇒p.12-24 「旗本交代寄合表御礼衆 生駒氏の「出羽矢島陣屋」について/米田藤博」
⇒p.14 「矢島生駒氏初代高俊の子高清は、父の遺言により、万治2年(1659)、弟俊明に2,000石を分知し、8,000石の旗本交代寄合となる。」とある。
⇒p.14 「明治元年(1868)11月20日、高直りをして15,200石となり、再度大名に列せられる。」
⇒p.14 「3.生駒氏の家臣団」の項に、生駒氏の家臣団を知る資料として③から⑦が挙げられている。
③『矢島の古文書散歩 第23集』(矢島町教育委員会/編、2000、A214.6/62/23)資料番号:129490496
④『秋大史学 21号・22号』(秋田大学史学会/編、1973、A205/7/20-27)資料番号:110724697
⑤『生駒藩史 -出羽、讃岐―』(姉崎岩蔵/著、矢島公民館、1976、214.6/カイ/郷)資料番号:124129727
⑥『矢島の歴史』(矢島町教育委員会/編、1969、214.6/ヤヤ/郷)資料番号:129010609
⇒p.13-21 「三、近世の矢島藩」の項に「1 生駒氏の移封」「2 人災と天災」 「3 藩政の充実」「4 戌辰の勤王」の4つの項目に分け、生駒氏と当時の矢島藩についての記述あり。
⑦『秋田大百科事典』(秋田魁新報社/編集、1981、031/アア/郷)資料番号:128639200
⇒p.77 「生駒氏」の項あり。
- 事前調査事項
- NDC
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- 歴史 (2)
- 参考資料
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- 矢島町史上巻矢島町史編纂委員会/共編矢島町
- パイオニア第97号関西地理学研究会
- 矢島の歴史矢島町教育委員会/編矢島町
- 秋田大百科事典秋田魁新報社/編集秋田魁新報社
- 生駒藩史 ―出羽、讚岐―姉崎岩蔵/著矢島町公民館
- 矢島の古文書散歩第23集矢島町教育委員会/編矢島町教育委員会
- 秋大史学20号〜27号秋田大学史学会/編秋田大学史学会
- キーワード
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- 矢島町(ヤシママチ)
- 生駒氏(イコマシ)
- 矢島生駒氏(ヤシマイコマシ)
- 生駒藩(イコマハン)
- 交代寄合(コウタイヨリアイ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000301201