レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年04月02日
- 登録日時
- 2020/05/29 18:35
- 更新日時
- 2020/07/02 14:05
- 管理番号
- 広県図2020006
- 質問
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解決
広島県の旧豊松村(現在の神石高原町)で,昭和56年11月に道路拡張工事中に地下1.5mから出土した2基の五輪塔(現在「幸運仏」という名前がついてパワースポットのようになっているもの)について,出土時の状況,幸運仏として祀られるようになった時期と経緯,実物の画像などがないか。
- 回答
-
『ふるさと豊松の文化』豊松村教育委員会/[編],豊松村教育委員会,1984【H70.94/トヨマ84ア】
p.33 豊松幸運仏堂 位置/豊松村大字下豊松野呂川、民有
「野呂川線道路拡張工事の際、地下・1.5m位のところから2基の五輪塔が出た。(略)組内6軒の中、5組の結婚が成立した。誰云うとなく、幸運仏さまと呼ぶようになり、(略)」
白黒写真が掲載されています。
『豊松村勢要覧:村制施行百周年記念版』豊松村役場総務課/編集,豊松村,1997【H35.94/トヨマ1/97ア】
[ページ付けなし]豊松幸運仏堂
内容は『ふるさと豊松の文化』とほぼ同じです。お堂のカラー写真が掲載されています。
『広報とよまつ』昭和48年5月,昭和61年10月~平成16年10月(最終号)【雑誌】
1991年4月p.9 「縁結びで村おこし」
「「幸運仏」出現十周年記念の大祭行事として、出会いの家の落成と併せ、「出会いの集い」が三月二十一日に開催されました。」
また,新聞記事を調査したところ,次の記事が見付かりました。
聞蔵Ⅱ(朝日新聞データベース)キーワード:「幸運仏」
『朝日新聞』
2011年08月21日朝刊 備後・1地方 33面(カラー)
(備後奇譚めぐり:1)神石高原町 幸運仏 人生変えた不思議な縁 /広島県
「山間の過疎地で「嫁のきてがない」と嘆いていたこの地区で、その後相次いで5組の挙式が成立した。「これは五輪塔の御利益だ」と、村人たちはお堂をつくって五輪塔を安置、「幸運仏(ぼとけ)」と呼んで供養を続けた。婚姻5組の第1号が池田靖弘さん(69)だ。」
幸運仏として祀られるようになった経緯が紹介されています。敷地の写真はありますが,五輪塔の写真はありません。
『中国新聞』(CD-ROM)
1998年02月02日夕刊 5面
◎風に吹かれて 幸運仏 広島県神石郡豊松村野呂川 良縁求め絶えぬ参拝客
「「幸運仏」と呼ばれる五輪塔は、約四百年前の戦国時代の夫婦墓。道路工事の際に出土後、地区の人たちが供養していたところ、二年間のうちに約二十世帯の野呂川地区で五組のカップルが誕生。「これはまさに仏様の御利益」。八四年にお堂を建て、参拝が始まった。」
出土時の状況が分かる資料は,見付かりませんでした。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 仏教 (180 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 幸運仏
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000282554