レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20180511
- 登録日時
- 2021/08/27 00:30
- 更新日時
- 2021/08/29 16:27
- 管理番号
- 中央-2021-21
- 質問
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解決
徳川家康が江戸に幕府を開くよりも前に、神田明神があった場所が知りたい。
- 回答
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以下の資料から、神田明神の創建時の場所を確認できた。
資料1『神田明神誌』p.7-10
天平2(730)年、武蔵国豊島郡芝崎村に創建されたこと、この地域は神田橋内大手町付近、大蔵省と内務省の間の、将門首塚のあった場所と考えられること、慶長8(1603)年、駿河台に移転したこと、元和2(1616)年、湯島台に遷座したこと等の記載あり。
なお、その後は明暦3(1657)年に回禄、元禄6(1693)年に震災で回禄、明和9(1772)年に回禄、大正12(1923)年に関東大震災で回禄するも、その都度造営、遷座され現在に至っていることも記述がある。
資料2『神田明神史考』p.111
「御府内備考続編」巻之九(文政12(1829)年頃編)の「神田明神社」の項に、神田橋御門内→駿河台→湯島と場所が移っていったとある。原文は以下のとおり。
「当社往古神田橋御門内(今神田橋御館之場所)に有之、其後年代不知駿河台(今鈴木町辺)へ遷座有之候処、元和二丙辰年当湯島之地所へ替地拝領仕遷座有之候。」
p.112には、文政年間(1818~1830年)の神田明神社の地図も掲載あり。
資料3『神田明神の辺り その1~その10』その2 p.5
「将軍家康はことのほか山王社と明神社を崇拝し、明神を江戸の鎮守とし、江戸城の鬼門を治めるものとした。慶長八年(一六〇三年)、城の拡張工事のため将門首塚のみを残して明神を神田台(駿河台)鈴木町へ移したものゝ更に元和元年(一六一五年)現在の地、湯島台宮本町に約一万坪を与へ、神田大明神としたのである。」とある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】神田明神誌 / 小松悦二著 / 神田明神誌刊行会 / 1931 <0917/K754/K>
- 【資料2】神田明神史考 / 神田明神史考刊行会編纂 / 神田明神史考刊行会 / 1992 <T/34・17/3001/>
- 【資料3】神田明神の辺り その1~その10 / 三彩堂無斎[著] / 章太亭 / [1984] <T/34・20/3019/1>
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000303729