レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009年12月31日
- 登録日時
- 2010/01/28 16:15
- 更新日時
- 2010/11/16 10:27
- 管理番号
- さいたま-西-20100010
- 質問
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解決
現在のさいたま市西区に、かつてJR川越線とは別の鉄道が走っていたそうだが、どこを走っていたのか知りたい。
- 回答
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川越町の資産家の出資により、川越電気鉄道が明治39年(1906)に開業。
川越の久保町から、ほぼ現在の旧16号線に沿って、大宮駅西口まで12.9キロ間を運行していました。
昭和15年(1940)7月、国鉄川越線が開通したため34年間で営業を終えたということです。
確認した資料は、ほぼ現在の旧16号線に沿って鉄道の軌道があったことは一致していますが、停車場の数と名前は資料により異なっています。
『大宮のむかしといま』p215、『埼玉の鉄道』p158では、川越久保町、途中二の関・黒須・西遊馬(合戸)・内野など12の停車場とし、図で、おおみや・おおなり・なみき・うちの・ごみかいど・ごうど・たかぎの各停車場を示しています。
『さいたまの鉄道』p33には「川越電気鉄道の路線」の図を掲載、おおみや・おおなり・なみき・うちの・ごみかいと・ごうど・たかぎ・くろす・ぬまはた・なりたさんまえ・かわごえくぼまちの停車場を示しています。
『川越大事典』p102では、久保町・成田山前・二の関・沼端・黒須・芝地・高木・合土(西遊馬)・(赤羽根)・五味貝土・内野・三橋(並木)・種鶏場前・大成・工場前(櫻木)・大宮の順としています。
『ふるさと指扇』p104では、大宮「西口脇から発車、今は跡形もありませんが、通称ドブ板横町(排水路)の東側を通り、16号線の手前を左折した所に『工場前』停車場があり、そのまま西進し国道17号線を越えてまもなく『大成』(後に種鶏場前と改める)、ついで『並木』、鴨川を渡って『内野』『五味貝戸』『合戸』『高木』『芝地』(以上大宮分)、荒川を渡って『黒須』『沼端』『二の関』、喜多院前の『不動前』を経て終点の『久保町』に通じ」ていたと紹介しています。
『わが川越電車』p53では、「停留所と沿線風景」という項で、成田山前・二の関・沼端・黒須・芝地・高木・合土(西遊馬)・五味貝戸・内野・並木・種鶏場前・大成・工場前・大宮駅西口のそれぞれの停車場の現在の様子を示す写真を掲載し、停車場間の距離や停車場が置かれた時期についての記述もあります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 鉄道運輸 (686)
- 参考資料
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- 『大宮のむかしといま』 大宮市 1980.11 p215
- 『埼玉の鉄道』 老川慶喜著 埼玉新聞社 1982.4 p158
- 『さいたまの鉄道』 埼玉県立博物館編集 さきたま出版会 1999.4 p33
- 『川越大事典』 川越大事典編纂会編纂 国書刊行会 1988.5 p102
- 『ふるさと指扇』 大宮市指扇公民館編集発行 1988.4 p104
- 『わが川越電車』 大野恵二著 1993.7 p53
- キーワード
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- さいたま市西区
- 鉄道
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000062608