レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/01/15
- 登録日時
- 2014/03/07 00:30
- 更新日時
- 2014/03/26 15:09
- 管理番号
- 0000000150
- 質問
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解決
兼六園の菊桜は1850年代孝明天皇の時代に京都御所から前田家へ下賜されたという伝承があるが、昭和45年(1970)原木が枯死したとき、樹齢250年前後とされた。すると下賜されたときすでに樹齢130年ほどというのはおかしいので、菊桜の原木の樹齢について確認したい。
- 回答
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(1)前提としている記載について
・『特別名勝兼六園 本編』p231に「由来は詳らかではないが、慶応年間(1865~1967)に孝明天皇より京都の御所から前田中納言に賜ったものと伝えられる名樹で御所桜とも呼ばれていた。」とある。
(2)樹齢について
・昭和45年12月24日「北国新聞 夕刊」p7菊桜を切った時の記事「さよなら菊桜」の記事によると、「推定樹齢250年」
・市川昌徳「菊桜」(『石川自治』151号 1962)では「推定樹齢は約150年以上」とある。
・『石川県天然記念物調査報告』 第1輯p15~19に菊桜の説明があるが、樹齢についての記載はない。
(3)孝明天皇からの下賜について
・明治27年成立の『兼六公園誌』には、旭桜・塩竃桜の記載はあるが、菊桜についての記載はない。
・明治41年成立の『金城勝覧図誌 乾』20丁~旭桜・塩竃桜・吉野桜をあわせて七五三桜という記載がある。
・昭和39年の『百万石太平記』で、上記金城勝覧図誌 』の記事を紹介し、「園内に三株の老桜がある。・・・一は、値上がり松の西南に吉野桜という。もと大和の吉野から移したと伝える。三幹に分かれて高さ五間ばかり。・・・その吉野桜こそいまの菊桜に相違あるまい。」としている。
・昭和42年『四季の兼六園』p30に「千歳橋を渡ってすぐ右に天然記念物の兼六園菊桜がある。この桜も三百年前に京都の御所から前田家に贈られたものと伝えられる名樹で昭和三年までは御所桜とよばれていたものを、東京帝大教授の三好博士の調査により、当時の内務大臣から天然記念物に指定され、現在の「兼六園菊桜」とよばれるようになった。」とある。
・谷屋甚三「兼六園菊桜の不思議」(『きくざくら』8号)には、「文政期、ここには四千坪に及ぶ広大な竹沢御殿が建てられていました。十三代藩主前田斉泰は先代藩主の死後、この竹沢御殿を取壊し、霞が池を掘り、千歳台を今の庭園に作り替えました。天保期のことです。この藩主は、唐崎松や根上りの松など兼六園の名木づくりに名がある殿様です。御所桜が千歳端のたもとに花をさかせたのは、そのころからではないでしょうか。」という表現になっている。
以上より、「孝明天皇から下賜された」こと自体の根拠がない。
- 回答プロセス
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・昭和45年12月12日「北國新聞」p14、「兼六園キクザクラ姿消す」という記事では樹齢については触れていない。
・『兼六園全史』p346、p428、p430に菊桜についての記述があるが、御所からの下賜、樹齢についていずれも触れていない。
- 事前調査事項
- NDC
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- 林業.狩猟 (65 9版)
- 参考資料
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- 1 北國新聞縮刷版 昭和45年12月号 北國新聞社 1971.1 K071/2/70-12
- 2 石川自治 : Ishikawa zichi 第15巻第3号通巻151号 石川縣自治研究会 石川縣自治研究会
- 3 石川県天然記念物調査報告 第1輯 市村 塘∥共編 安田 作次郎∥共編 石川県 1925 K462/1/1
- 4 特別名勝兼六園 本編 橋本確文堂企画出版室∥編 橋本確文堂企画出版室 1997.2 K292.2/153
- 5 兼六公園誌 乾 小川 政成∥著 観文堂 1917 K292.2/3/1
- 6 金城勝覧図誌 乾 平岩 晋∥著 林有声館 1908.5 K292.2/5/1
- 7 百万石太平記 八田 健一∥著 石川県図書館協会 1964.7 K204/13
- 8 四季の兼六園 新蔵 正∥著 青柳書房 1967 K292.2/26
- 9 きくざくら 兼六園研究会∥[編] 兼六園研究会 1999.5 K292.2/132/8
- キーワード
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- 兼六園
- キクザクラ
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 団体
- 登録番号
- 1000150308