レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年09月01日
- 登録日時
- 2016/07/12 13:44
- 更新日時
- 2016/08/09 21:04
- 管理番号
- 0-1-20150821-1
- 質問
-
解決
①明治時代にあった北今学校という下等小学校が存在していた(尾西地区)が、それについて知りたい。
②戦後の一宮市(西部)の織物業の歴史を知りたい。
- 回答
-
①
『起町史 上巻』.起町役場/編.起町役場,1954,A273/8/1A
p425-426 北今義校改今盛学校 明治6年、北今法信寺で開設等と記載あり
(法信寺→應蓮寺)
p433 旧称:第41番今盛学校 新名称:第85番今北学校 とある。
p436~ その後の名称:起学校→北今尋常小学校→大徳学校に併合
『愛知県寺子屋一覧』.愛知県教育委員会/編者.愛知県教育委員会,1973,A372/8/5
p83-84 明治6.10.20北今義校の前身の寺子屋(法信寺)のこと
『中島郡制史』.中島郡役所/編.国書刊行会,1988,A273/111
p213~明治5年に従来ある寺子屋・私塾・義校を廃止…、とある。
北今の名前があるページ
p215 今盛学校(北今村法信寺)とある
p217 校名を改称するとあり 今盛学校→北今学校とある。
p222 北今学校の名前記載あり
p230 北今尋常小学校→大徳尋常高等学校に併合とある。
※①回答として提示した資料は、明治5年以降の義校が廃止になってからの事。
②
『尾西毛織近代史 1958年度版』.日本繊維新聞社/編者.尾西毛工,1958,A586/13
p11~ 尾西毛織行戦後十年の歩み
『一宮繊維卸センター発達史』.組合史編さん特別委員会/編纂.一宮繊維卸センター/編纂.一宮繊維卸センター,1976,A671/3/A
p105~戦後の毛織業界
p122~戦後の織物卸商業組合の流れ
『ふるさと一宮』.岩野 見司/監修.郷土出版社,2011,A273/フル
p174~写真数枚あり。
- 回答プロセス
-
記載なしの資料
①
『のびゆく一宮』.一宮市教育研究会中学校社会科部/編集.一宮市教育委員会,2012,A273/30/16
p172より 北今村→大徳村→起町 とわかる。
『中島郡教育会雑誌 第4号』.中島郡教育会/編者.中島郡教育会,1904,A370/64
十ヶ町村巡廻記に大徳村があるが、学校名などはなし
『起町史 下巻』.起町役場/編.起町役場,1955,A273/8/2
p355p361 法信寺、応蓮寺の記載あり。義校についてはなし
『明治中期における愛知県中等教育』.愛知県科学教育センター/編者.愛知県科学教育センター,1969,A376/6
『起町勢要覧』.春日井 兵一/編者.起町役場,1953,A318/2/53
『平成尾北の寺院』.後藤 順/編著.2006,A187/コ
『愛知の寺子屋』.丹羽 健夫/著.風媒社,2012,A372/ニワ
②
『尾西織物史』.森 徳一郎/著者.尾西織物同業組合,1939,A586/3/A
戦後の記載がない
- 事前調査事項
-
『織物業の発展と寄生地主制』.塩沢 君夫/編著.御茶の水書房,1985,A586/47(本人貸出中)現在の北今地区にある小学校は大徳小学校。
- NDC
-
- 教育史.事情 (372)
- 繊維工学 (586)
- 商業史.事情 (672)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 書誌的事項調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000194578