レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008年04月18日
- 登録日時
- 2008/06/24 12:52
- 更新日時
- 2008/06/24 12:52
- 提供館
- 岐阜県図書館 (2110001)
- 管理番号
- 岐県図-0963
- 質問
-
解決
最澄が東国布教の帰途に東山道で美濃に入り「高野山寺」に立ち寄ったとあるそうだが、この寺は現在のどこにあたるのか。
- 回答
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1 佐伯有清『伝教大師伝の研究』(吉川弘文館,1992 7書庫:188.4/サ)を参照。「美濃高野山寺については明確ではないが、現在、岐阜県大垣市青墓町にある円興寺がそれであって、高野山寺はその別称であるという」(p.444)とし、典拠として『岐阜県史 通史編古代』を挙げている。出典の『岐阜県史 通史編 古代』(岐阜県,1971 郷土:201/ギケ)では第16章「平安仏教の展開・神社」に同様の記述がある(p.896)。
2 『大垣市史 青墓編』(大垣市,1977 郷土:231/オ)を参照。p.706以降に円興寺に関する記述があり、「高野山寺」との関連を述べた後「今直ちに決定できる問題ではないが、さらに正確な資料と発掘によって研究すべき」(p.707)としている。
3 なお上記『伝教大師伝の研究』では、最澄が「高野山寺」に立ち寄ったとする「叡山大師伝」で高野山寺の院主とされている賢栄禅師について、神戸町の神護寺(善学院)の第2代の院主であったとする記述も紹介している(p.444-445)。これらについても、典拠は『岐阜県史 通史編 古代』(p.899)。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 仏教史 (182 9版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000045294