レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009/03/13
- 登録日時
- 2012/04/29 02:00
- 更新日時
- 2012/09/11 13:53
- 管理番号
- 6000000141
- 質問
-
解決
弘法大師が開いたといわれる井戸が豊中にあると聞いたが、どこにあるのか。
- 回答
-
弘法大師空海が開いたといわれるのは、豊中市待兼山町1にある北谷の井戸。
大阪モノレール柴原駅から西へ約200m、中央環状線の北側の、現在の大阪大学付近にあったが、中央環状線工事にともない枯渇したとされる。『とよなか歴史・文化財ガイドブック』付録「とよなか歴史・文化財マップ」に記載あり。
なお平成23(2011)年現在、コンクリートで囲まれた状態で井戸が残っており、わずかながら水をたたえているのが確認されている。
- 回答プロセス
-
郷土資料の書架を探す。
『豊中の伝説と昔話』(鹿島友治)p1「北谷の井戸」に、豊中市刀根山元町に「北谷の井戸」と呼ばれる井戸があり、かつて待兼山につづく丘陵上にあって水に困っていた刀根山村の人々に、弘法大師が水の出る地を教えて掘られた井戸であったという伝説が載っている。なおこの井戸は南を通る中央環状線の工事によって水が涸れてしまったとのこと。
また『新修豊中市史 第7巻 民俗』(豊中市)p255「水をめぐる伝承」にも同様の記載があり、刀根山北谷の井戸の写真が載っているほか、『郷土史資料 豊中の史跡たずね描き』(豊中市立教育研究所)p40にも同じような記事がある。しかしいずれにも詳しい位置は載っていない。
『郷土学習資料集 刀根山』(豊中市立刀根山小学校)p31の「生活用水」の項に、「北谷(きたたに)の井戸」の記載あり。由来を紹介する「とよなかの水道」(豊中市水道局)の記事の写真と手書きの地図があり、現在の大阪大学付近にこの井戸があったことがわかる。なお1968年に中央環状線ができるまでは、毎年8月5日にこの井戸を清掃する行事があったとのこと。
『とよなか自然・環境ガイド』(豊中市)p18「丘陵西部地区」に豊中市北西部の地図があり、大阪大学付近に「弘法の清水」が記されている。この弘法の清水に関する記事はないが、『郷土学習資料集 刀根山』等の記載と合わせると、北谷の井戸に該当すると思われる。
さらに『とよなか歴史・文化財ガイドブック』(豊中市教育委員会)を調べると、p12「ブロック2 豊中北西部」に「9 北谷(きただに)の井戸」の項があり。弘法伝説のほか、1764年(明和元年)の北刀根山の村明細帳にみえる「北刀根山壱ツ井」(きたとねやまひとつい)に相当、北谷はかつて北刀根山村の中心部にあった字の名とあり。付録の「とよなか歴史・文化財マップ」に北谷の井戸が示されている。阪急バス「刀根山元町(とねやまもとまち)」バス停そば。
後日、平成23(2011)年5月の豊中市広報「広報とよなか」p55「とよなか絵巻 その13」で北谷の井戸がとりあげられ、大阪モノレール柴原駅から西へ約200mの位置にあること、現在も水をわずかにたたえていることが紹介された。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
-
- 『豊中の伝説と昔話』鹿島 友治/著(鹿島 友治)
- 『新修 豊中市史』第七巻 豊中市史編さん委員会/編集(豊中市)
- 『刀根山』郷土学習資料集編集委員会/編集
- 『とよなか 自然・環境ガイド』大阪自然環境保全協会/編集(豊中市公害対策部公害対策課)
- キーワード
-
- 弘法大師
- 井戸
- 豊中市
- 柴原
- 歴史
- 空海
- 伝説
- 刀根山(トネヤマ)
- 待兼山(マチカネヤマ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000105444