レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022/06/04
- 登録日時
- 2022/07/02 00:30
- 更新日時
- 2022/07/08 16:04
- 管理番号
- 秋田-2782
- 質問
-
解決
昭和29年12月に秋田県里親連合会初代会長に就任した佐藤忠俊氏について、以下のことが知りたい。
1.初代会長に就任した経緯
2.他の公職等の経歴
3.公職追放解除年と県議会議員に立候補した年
- 回答
-
1.初代会長に就任した経緯
記載のある資料は確認できず。
参考までに、当館未所蔵の以下の雑誌記事を案内。
タイトル:「戦後里親制度草創期における里親養育の変容 : 秋田県里親会連合会の発足と活動に注目して」
著者名:田中 友佳子
掲載雑誌:『社会事業史研究 53号』(社会事業史研究会、2018年3月)P95-111
2.他の公職等の経歴
以下の資料を案内。
①『北秋田郡大阿仁村発達史』(松田広房/編、大阿仁仏教会、1954、214.2/マキ/郷)資料番号:129065850
②『都道府県別資産家地主総覧 秋田編』(渋谷 隆一/編、日本図書センター、1995、280/シト/郷)資料番号:121017248
③『秋田むがしこ 第2集 日本の昔話 12』(今村 義孝/編、未来社、1975、388/イア/2郷)資料番号:124018714
④『秋田県「佐藤一族」の系譜と伝承口碑』(佐藤徳蔵/著、秋田文化出版社、1984、288/サア/郷)資料番号:111341251
⑤『武四郎探検譚』(戸川幸夫/著、講談社、1959、91-F/1311/)資料番号:111964490
⑥『山岳講座 第4巻 山の民俗学』(南条初五郎/編、共立社、1936、78-E741/44/)資料番号:111627634
3.公職追放解除年と県議会議員に立候補した年
秋田魁新報の以下の記事を案内。
〈公職追放について〉
・1946年10月10日朝刊1面「公職追放の範囲拡大」
・1946年11月19日朝刊1面「一一・八旋風の該当者」
・1946年11月21日朝刊1面「北秋 該当町村長」
・1946年12月6日朝刊1面「町村長続々退職」
・1947年1月7日朝刊2面「吹きすさぶ公職追放の嵐」
・1947年1月11日朝刊1面「該当者全部退職」
・1948年7月11日朝刊1名「総員二千二百二十名」
〈追放解除について〉
・1951年6月21日朝刊2面「第一次 本県追放解除の人々」
・1951年6月21日夕刊1面「本県地方師弟は千二百十二名」
・1951年6月27日朝刊1面「塩田、片野氏ら八百名」
・1951年7月5日朝刊1面「第一次二百九十八名」
〈県議会議員に立候補した年について〉
・1951年1月12日朝刊1面「定員数二名増加 本県の県会議員選挙」
・1955年4月14日朝刊2面「県会議員選挙・立候補者一覧」
- 回答プロセス
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1.荒瀬村について地名辞典で確認
・『角川日本地名大辞典 5 秋田県』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編、角川書店、1980、290/カカ/郷)資料番号:124032707
→P79 荒瀬村 明治22年~昭和12年の北秋田郡の自治体名。昭和12年からは大阿仁村、昭和30年からは阿仁町。
2.市町村史を確認
①『北秋田郡大阿仁村発達史』(松田広房/編、大阿仁仏教会、1954、214.2/マキ/郷)資料番号:129065850
→口絵 歴代村長 第八代 佐藤忠俊(写真あり)
P32 歴代村長 八代 自昭和十九年一月十日 至昭和二十一年一月四日 佐藤忠俊
3.人名事典を確認
②『都道府県別資産家地主総覧 秋田編』(渋谷 隆一/編、日本図書センター、1995、280/シト/郷)資料番号:121017248
→P355 秋田県名鑑(昭和二年) P53 「荒瀬村 荒瀬 村會議員、村農會副會長、郡農會議員、學務委員、區長 佐藤忠俊」と記載あり
4.所蔵資料検索(キーワード:荒瀬、里親、中央児童相談所)
記載のある資料は確認できず。
5.郷土資料分類369(社会福祉・社会事業)の書架をブラウジング。
記載のある資料は確認できず。
6.Googleブックスで検索(キーワード:秋田県里親会連合会、佐藤忠俊)
下記資料が該当。
③『秋田むがしこ 第2集 日本の昔話 12』(今村 義孝/編、未来社、1975、388/イア/2郷)資料番号:124018714
→P309-311 「昭和三十五年九月、(中略)忠俊氏はこの根子の佐藤マキの大本家の親方と呼ばれる人であり、根子番楽の紹介に尽力した方だった」と記載あり。
④『秋田県「佐藤一族」の系譜と伝承口碑』(佐藤徳蔵/著、秋田文化出版社、1984、288/サア/郷)資料番号:111341251
→P86 「根子の佐藤忠俊氏も、佐藤継信の末裔と伝えているという」と記載あり。
⑤『武四郎探検譚』(戸川幸夫/著、講談社、1959、91-F/1311/)資料番号:111964490
→P10-11 「根子部落の長老佐藤忠俊氏」「佐藤氏は(中略)佐藤継信の末裔」と記載あり。
⑥『山岳講座 第4巻 山の民俗学』(南条初五郎/編、共立社、1936、78-E741/44/)資料番号:111627634
→P14 「ネッコ部落は現在戸数八十余もあり、部落の長は佐藤忠俊氏で」と記載あり。
7.秋田県立図書館デジタルアーカイブ検索(キーワード:佐藤忠俊、荒瀬、里親、公職追放、追放解除)
→以下の新聞記事が該当。
〈公職追放について〉
・1946年10月10日朝刊1面「公職追放の範囲拡大」
・1946年11月19日朝刊1面「一一・八旋風の該当者」
・1946年11月21日朝刊1面「北秋 該当町村長」
・1946年12月6日朝刊1面「町村長続々退職」
・1947年1月7日朝刊2面「吹きすさぶ公職追放の嵐」
・1947年1月11日朝刊1面「該当者全部退職」
・1948年7月11日朝刊1名「総員二千二百二十名」
〈追放解除について〉
・1951年6月21日朝刊2面「第一次 本県追放解除の人々」
・1951年6月21日夕刊1面「本県地方師弟は千二百十二名」
・1951年6月27日朝刊1面「塩田、片野氏ら八百名」
・1951年7月5日朝刊1面「第一次二百九十八名」
〈県議会議員に立候補した年について〉
・1951年1月12日朝刊1面「定員数二名増加 本県の県会議員選挙」
・1955年4月14日朝刊2面「県会議員選挙・立候補者一覧」
記載のなかった資料は以下のとおり
×『秋田県紳士録』(秋田魁新報社/編、秋田魁新報社、1984、281.2/アア/郷)資料番号:124017492
×『秋田人名大事典』(秋田魁新報社/編集、秋田魁新報社、2000、280/アア/郷)資料番号:124250713
×『秋田県人物・人材情報リスト 2021』(日外アソシエーツ(制作)、2020、280/ニア/2021郷)資料番号:124592254
×『阿仁町史』(阿仁町史編纂委員会/編、阿仁町、1992、214.2/アア/郷)資料番号:124029703
×『荒瀬のむかし昔』(佐藤 一巳/著、2014、 A214.2/145/)資料番号:129742524
×『荒瀬部落の概要』(荒瀬地区公民館/編、荒瀬地区公民館、1967、A318.2/12/)資料番号:110792728
×『秋田県社会福祉史』(秋田県社会福祉協議会/編、秋田県社会福祉協議会、1979、369/アア/郷)資料番号:111343653
×『秋田県里親会連合会会報 第1-6号』(秋田県里親会連合会/編、秋田県里親会連合会、1956、36-イトウ/446/)資料番号:128927399
×『里親通信 No.1-No.3』(秋田県中央児童相談所/編、秋田県中央児童相談所、1953、36-イトウ/447/)資料番号:128927407
- 事前調査事項
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・『マタギ 日本の伝統狩人探訪記』(戸川 幸夫/著、クロスロード、1984、A384/74/)資料番号:110113800
→P86 「元荒瀬村村長の佐藤忠俊さん」と記載あり。
・里親会報第1号(秋田県里親会連合会、昭和30年1月25日)
→初代会長として挨拶文あり
- NDC
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- 社会科学 (3)
- 歴史 (2)
- 参考資料
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- 北秋田郡大阿仁村発達史松田広房/編大阿仁仏教会
- 都道府県別資産家地主総覧秋田編渋谷 隆一/編日本図書センター
- 秋田むがしこ第2集今村 義孝/編未来社
- 秋田県「佐藤一族」の系譜と伝承口碑佐藤徳蔵/著秋田文化出版社
- 武四郎探検譚戸川幸夫/著講談社
- 山岳講座第4巻南条初五郎/編共立社
- キーワード
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- 佐藤忠俊(サトウタダトシ)
- 荒瀬村(アラセムラ)
- 里親(サトオヤ)
- 公職追放(コウショクツイホウ)
- 追放解除(ツイホウカイジョ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000317921