レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2013/07/30 14:57
- 更新日時
- 2016/05/22 14:12
- 管理番号
- 神戸図ー532
- 質問
-
二楽荘の当時の写真入り資料。
通称モダン寺()と呼ばれた建築物の資料。
本願寺神戸別院(善福寺、通称モダン寺 2016年5月現在も立替後花隈近くにあり。神戸市中央区下山手8-1-1)について
昭和初期、神戸別院がインド様式に建立された当時、または以前の原資料(記録や文献)。
- 回答
-
二楽荘に関する資料としては
『二楽荘と大谷探検隊 モダニズム再考 Ⅰ』芦屋市立美術博物館編集・発行 1999刊
『二楽荘と大谷探検隊 モダニズム再考 Ⅱ』芦屋市立美術博物館編集・発行 2003刊
この2冊は展覧会図録だが、写真図版が多いだけでなく、参考文献も多数掲載されている。
『阪神間モダニズム』 「京阪神モダニズム展」実行委員会編 淡交社 1997刊
この資料にも「六甲の天主台と評された二楽荘」和田秀寿 p154~156がふくまれている。
※上記3冊の資料は、県下でも多くの図書館が所蔵
通称モダン寺に関して
正式には、一乗山善福寺。本願寺神戸別院とも呼ばれている。
『近代建築画譜 近畿編』 復刻版 不二出版 p482 には平面図が記載されている。
雑誌「建築雑誌」71巻1号(1996年1月)p75 には、簡単な改修工事の内容が掲載されている。
寺院としての紹介記事は散見されるが、建築物としての資料は蔵書にみつからず。
追記:
○神戸新聞 昭和41年3月1日(11面)
「明治はここに(21)モダン寺 国際港都にぴったり 壇家総代の浄財で建立」
(一部抜粋)
昭和四年の夏、神戸花隈の一角に赤銅の尖塔を突き立てたサラセン様式の西本願寺神戸別院が白亜の威容を現わしたとき、(中略)さしもの神戸っ子たちも異様の感に打たれた。ゆえに名づけてモダン寺。(中略)大正末期、木造の本堂、庫裡書院などが火災にあい、壇家総がかりで復興にとりかかり、いまのモダン寺建立となったが、当時の総代鈴木よねさんがそのさいポンと二十万円(現在の約二億円)を寄進した―と西本願寺の記録にある。つづく)
○『光尊寺旧本堂調査報告書』神戸市教育委員会編 平成元年発行
昭和63年、老朽化のため解体されたときの報告書です。善福寺(モダン寺)に関係するところを要約すると、光尊寺は、明治8年、神戸市中央区山本通3丁目に、大谷光尊(明如上人)直々の設立発起により、本願寺派説教所(城ヶ口説教所)として設立される。その本堂は、全国でも珍しい擬洋風仏寺建築。明治37年別格別院になる。昭和初年、善福寺(モダン寺)建設のため、城ヶ口説教所の鉄製門扉を供出、代わりに善福寺から鐘楼、手水、薬医門、築地塀を移築。(光尊寺所蔵『由緒沿革』より)。
善福寺へ移った鉄門、鉄柵については戦時の供出で現在は無い。
○「旧城ヶ口説教所(光尊寺)における平面構成と洋風建築技法について」
『平成元年度 日本建築学会近畿支部研究報告集』
この論文は、インターネットの論文データベース「CINII」で本文を読むことができる。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本の建築 (521 8版)
- 各種の建築 (526 8版)
- 参考資料
-
-
『二楽荘と大谷探検隊 モダニズム再考 Ⅰ』芦屋市立美術博物館編集・発行
1999刊 (pv:6000257817 0015=582) -
『二楽荘と大谷探検隊 モダニズム再考 Ⅱ』芦屋市立美術博物館編集・発行
2003刊 (pv:7000168109 0015=582=2) -
『阪神間モダニズム』 「京阪神モダニズム展」実行委員会編 淡交社
1997刊 (pv:6000130107 002=201) - 『近代建築画譜 近畿編』 復刻版 不二出版 2007 (pv:7200165679 5208=N7A)
- 「建築雑誌」71巻1号(1996年1月) 日本建築学会 (CT:0100079427 T52-A1)
-
『二楽荘と大谷探検隊 モダニズム再考 Ⅰ』芦屋市立美術博物館編集・発行
- キーワード
-
- 二楽荘
- 建築(日本)
- 寺院建築ーー神戸市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000134775