レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年10月11日
- 登録日時
- 2020/03/11 16:59
- 更新日時
- 2020/03/11 17:41
- 管理番号
- 横浜市中央2577
- 質問
-
解決
横浜市立子安小学校(神奈川区新子安一丁目24-1)
ができる前の場所には何があったか知りたい。
- 回答
-
横浜市立子安小学校は、明治6(1873)年の創立以降
3度移転をしています。
所在地が、神奈川区新子安一丁目24-1であったのは、
大正15(1926)年の2度目の移転からになります。
当時の所在地は子安町溝の下1907番地でした。
その後、町名地番変更を経て、上記の所在地と
なったのは、昭和41(1966)年からです。
子安町溝の下1907番地について、遡って確認しました。
田畑や山があったところに工場ができ、その後、
学校ができたようです。
確認した資料をご紹介します。
1 学校の設置場所について
(1)『横浜市学校沿革誌』 横浜市教育委員会/編 横浜市教育委員会 1957.12
p.83~学校設置状況、校地・校舎の変遷について記載があります。
(2)『横浜市学校沿革誌』 横浜市教育委員会/編 横浜市教育委員会 1976.3
p.82~設置状況、校地の変遷について記載があります。
(3)『子安 横浜市立子安小学校校舎落成記念誌』
横浜市立子安小学校校舎落成記念実行委員会/〔編〕 横浜市立子安小学校 1977
p.19~年表形式の沿革があります。
(4)『子安小学校創立九十周年記念誌』横浜市立子安小学校 1964.3
p.9~“子安小学校90年のあゆみ”年表があります。
(5)『子安小学校百年史』横浜市立子安小学校創立百周年記念誌作成委員会/編
横浜市立子安小学校 1973.3
p.30~ 創立当時の学舎の写真があります。
(6)『横浜市立復興小学校建築図集』 横浜市建築課/編 新建築社 1931.4
p.114~ 震災復興後の外観写真があります。
所在地の溝の下1097は、溝の下1907の誤記と思われます。
2 土地宝典、地形図、等
(1)横浜市土地宝典「土地宝典3」1916.12(大正5年)
土地台帳では、地番1907は「畑」、付近の地目は「宅」「田」「畑」となっています。
(2)横浜市土地宝典 神奈川区之部(含旧大綱村・城郷村)
「土地宝典9」1932.3(昭和7年)
土地台帳で地番1907は子安小学校とあります。
所有者は横浜市です。
(3)『明治前期・昭和前期横浜都市地図 現在地形図対照
1:25000/1:10000/1:5000』
清水靖夫/編 柏書房 1995.10
地番1907の辺りは、次のとおり工場から学校になったことが確認できます。
p.70新子安 大正11(1922)年 工場の記号
p.72新子安 昭和6(1931)年 学校の記号
(4)『1/10000地形図 生麦 ナマムギ』大日本帝国陸地測量部/〔編〕
大日本帝国陸地測量部 1923-1954
地番1907の辺りは、次のとおり製造所から学校になったことが確認できます。
「大正11年測図 大正12年印刷・発行」 製造所の地図記号
「昭和6年測図 昭和7年2月印刷・発行」 学校の地図記号
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本 (291 8版)
- 幼児.初等.中等教育 (376 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000275791