レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年10月22日
- 登録日時
- 2013/12/08 11:00
- 更新日時
- 2013/12/08 11:00
- 管理番号
- tr286
- 質問
-
解決
栃木県塩谷町(当時の船生村)出身である、演歌師「神長瞭月(かみながりょうげつ)」に関する資料はあるか。
- 回答
-
演歌師「神長瞭月」が栃木県塩谷町(当時の船生村)出身であるという情報を元に、音楽史に関する資料と地域資料から調査を行いました。関連する記述があった資料は、以下のとおりです。
・『音楽五十年史』(堀内敬三/著 鱒書房 1943)
「第3章 明治後期の音楽」の「5、演歌は俗謡界の王座へ」(p240-250)に関連する記述があります。
・『日本音楽の歴史 』(吉川英史/著 創元社 1965)
「第7章 洋楽消化時代」の「1 演歌の唄本に現れた大正時代」(p416-422)に関連する記述があります。
・『流行歌明治大正史』(添田唖蝉坊/著 添田知道/著 刀水書房 1982)
神長瞭月/作詞・作曲の歌の歌詞が掲載されていました。
「松の聲」(p238-239)
「ハイカラ節」(p252-253)
「殘月一聲」(p257-259)
「スカラソング」(p259)
「一かけ節」(p294-295)
※「流行歌について」の項等、文中の随所で、読売や書生節に関する記述が確認できましたが、神長瞭月に関する具体的な記述は記載がありませんでした。
・『日本音楽大事典』(平凡社 1989)
「演歌」の項で、演歌の発生や特長について述べられていますが、その中で、「(19)07年ころ神長瞭月によってヴァイオリンが伴奏にとり入れられる。」との記述が確認できました。(p580)
・『日本レコード文化史』(倉田喜弘/著 東京書籍 1992)
「3 視界ゼロ時代」の「2 はやり歌と政見レコード」の中の「書生節台頭」の項(p85-86)に記載がありました。
・『演歌師の生活』(添田知道/著 雄山閣出版 1994)
「底にうごめくものどち」の項に関連する記述があります。
「松の声」(p103)
「ヴァイオリン」(p109-111)
・『「はやり歌」の考古学 開国から戦後復興まで』(倉田喜弘/著 文藝春秋 2001)
「第3章 異文化との接触」の「6 ヴァイオリン演歌へ」(p138-144)に関連する記述があります。
・『ポピュラー音楽は誰が作るのか 音楽産業の政治学』 (生明俊雄/著 勁草書房 2004)
「第2章 レコード産業への音楽制作機能の集約」の「5 演歌師という存在」(p76-79)に関連する記述があります。
・『日本の作曲家 近現代音楽人名事典』(日外アソシエーツ株式会社/編 細川周平/監修 片山杜秀/監修 日外アソシエーツ 2008)
「神長瞭月」の項があり、生没、本名、生い立ちや業績についての記述が確認できました。(p201)
・『流行歌の誕生 「カチューシャの唄」とその時代』(永嶺重敏/著 吉川弘文館 2010)
「<歌う文化>と流行歌の近代」の項中に、関連する記述を確認できました(p136-138、174-176)。
以下の資料からは、記述を確認することができませんでした。
・『野州紳士録』(金澤源太郎/編 野州新聞社 1915)
・『下野名鑑』(三古谷雄/編 下野通信社 1925)
・『野州名鑑 昭和6年版』(遠藤健三郎/編 下野新聞社 1931)
・『音楽家人名事典』(日外アソシエーツ/編 日外アソシエーツ 1991)
・『栃木群馬縣人名鑑 昭和10年版』(小森貢/編 両毛県人社 1935)
・『栃木群馬縣人名鑑 昭和14年版』(小森貢/編 両毛県人社 1939)
・『栃木縣名士録 1952年版』(武石長雄/編 下野新聞社 1952)
・『明るい郷土を擔う人々 昭和31年度版』(下野新聞社/編 下野新聞社 1956)
※船生村、在京県人なし
・『栃木県第一線展望 人物篇』(鎌倉亀久馬/編 下野新聞社 1961)
・『レコード百科 歴史から鑑賞まで』(宮本英世/著 誠文堂新光社 1981)
・『栃木県歴史人物事典』(栃木県歴史人物事典編纂委員会/編集 下野新聞社 1995)
・『日本の演奏家 クラシック音楽の1400人』(日外アソシエーツ株式会社/編 日外アソシエーツ 2012)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 大衆演芸 (779 9版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 神長瞭月
- 演歌師
- 流行歌
- ヴァイオリン演歌
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 書誌的事項調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000141645