レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015/05/28
- 登録日時
- 2016/01/21 10:07
- 更新日時
- 2016/03/17 17:41
- 管理番号
- 埼熊-2015-134
- 質問
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解決
川越市吉野の馬頭観音像に彫られている文字が知りたい。像の建立は天保14年3月吉日、世話人は2名いて中田嘉兵□、田中忠兵ヱ。願主は山下善右ヱ門。*□は判読不可の文字
- 回答
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「石田本郷」の馬頭観音像について書かれた下記資料に質問と関連する記述があり、提供した。
『川越の石仏』(川越市総務部市史編纂室編 川越市 1973)
p148-149(「表4 馬頭」中)「65 1843(天保14) 石田本郷 小学校裏 道の北側 三面 六臂坐像」
「(右)天保十四癸卯年三月吉日 世話人 仲田嘉兵衛 田中忠兵衛 願主 山下喜右衛門
(正)(刻字があるらしいが磨滅して判読し得ず)中人講
(左)入間郡石田本郷村中 左 金兵衛 渡し」
「備考」欄に「「左金兵衛渡し」から考え元の位置ではないらしい」とあり。
- 回答プロセス
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1 自館目録を〈川越 & 石仏〉で検索する。
『川越の石仏』[回答資料]
『川越のいしぼとけ』(川越市教育委員会 1972) p60-62 造立年代表馬頭観音の部あり。
2 他市の調査資料で類例を確認する。
『鴻巣の石造物(箕田・田間宮地区)』(鴻巣市 2001)
p6-7 石造物の概略
「馬頭観音菩薩」 「変化菩薩の一つ。(略)彫像ではなく単に「馬頭観音」等と刻まれた文字塔も多数存在する。(略)江戸地代の前期においては、あくまで人の二世安楽を対象として造立される場合が多かった。それがやがて、中期以降、馬や牛の供養や無病息災の祈願に造立されるようになり、また、中には死馬に対する墓標的なものも見られる。造立場所は路傍が大半で、個人宅内も多い。前者は行き倒れ場所、後者は個人の愛馬供養のためであろう。また、前者の中には道標を兼ねているものも見られ、道中安全の意図もあったようである。」とあり。
石造物の文面は「建立年月日」「願主(又は「施主」) 人名」「世話人 人名」「〔講中〕人名」のみ。「△し」の文例は無し。
『鴻巣の石造物(鴻巣・笠原地区)』(鴻巣市 2003)
p9-10 解説と考察
「馬頭観音」「変化観音の一つ。多くは一面二臂または三面六臂の忿怒像で、頭上に馬頭を戴くのが特徴である。(略)一方、四五基中三三基は本体に「馬頭観世音」または「馬頭尊」と刻む文字塔で、自然石状または角柱状のものが主体となる。(略)出現当初は刻像塔であった馬頭観音は、1830年前後を画期として、すべてその形状を文字塔へと変えているのである。」
『上福岡の石造物 市史調査報告書 9』(上福岡市教育委員会 1996) 関連の記述なし。
- 事前調査事項
- NDC
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- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 仏像 (718 9版)
- 仏会 (186 9版)
- 参考資料
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- 『川越の石仏』(川越市総務部市史編纂室編 川越市 1973)
- キーワード
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- 馬頭観音像
- 川越市(埼玉県)
- 吉野
- 天保
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000187281