レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023/3/11
- 登録日時
- 2018/06/13 18:10
- 更新日時
- 2023/03/23 10:43
- 管理番号
- 中央-郷-2018-0023
- 質問
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江波(えば)が島だったころの様子が知りたい。特に、港の様子や船の出入り、廻船問屋について知りたい。
- 回答
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資料②により、江波が島だったのは明治2年(1872年)までだったことが分かりました。
明治2年より前の江波島・江波港の様子について記載がある資料①~⑨が見つかりました。
船の出入りについては資料②~⑥・⑧に記載がありました。
廻船問屋についての記載は見つかりませんでした。
- 回答プロセス
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1.地名辞典を確認したところ、以下の資料が見つかりました。
①『日本歴史地名大系 35 広島県の地名』 平凡社/編 平凡社 1982年
p.612~613「江波村」
「・・・元和五年(一六一九)の安南郡絵図に江波港に向けて航路が描かれ「瀬戸より七里」の記載があり、江波島の東岸に大坂および伊予方面よりの航路が開けていたことが知られる・・・文化八年(一八一一)丸子新開・・・が築かれ、これによって船入沖新開との間はほとんど接続した。「芸藩通志」所載絵図によれば両新開間に水流があるが、丸子橋で陸上交通ができるようになっている。・・・鎌倉時代より江波島には航路が開かれており・・・文化八年に丸子橋で陸路往来が可能となって外港としてさらに利便となり、同一四年には新しく船入が築設された・・・」の記載がありました。
②『角川日本地名大辞典 34 広島県』 「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1987年
p.159~160「江波」
「・・・島の周囲では漁業が盛んで・・・浅野氏は入国後ただちに江波島に番所を設け、江波奉行(のち江波御番)を置いて、海路・川筋取締りにあたらせ、また船蔵・船作事所を設置。江戸末期、潮の干満が大きい河口では海船の出入りに不便であることから、城下との間を艜という荷舟で連絡し、江波を外港として利用することが多くなった・・・明治2年船入沖新開との間の水路が埋め立てられ、江波島は広島と陸続きとなった。・・・」の記載がありました。
2.市史を確認したところ、以下の資料が見つかりました。
③『新修広島市史 第3巻』 広島市/編 広島市役所 1959年
p.145~146「江波港」
「・・・当時沖合にあった江波島が外港として利用されたこともすくなくない。・・・江波島を外港として利用する場合、広島町との連絡には荷船として艜が活躍した。・・・文政年間その海船は著しく減少し、一方艜船が激増しているのは、外港としての江波港の活況を反映するものにほかならない。・・・」の記載がありました。
④『広島市史 第1巻』 広島市/編 名著出版 1972年
p.38「五箇荘の圖」に「江波島」の記載がありました。
p.182「江波港 「元和五年安南郡絵図」に據るに、江波島の東岸に大阪及び伊予方面より航路の輻湊せるを見る、されば福島氏時代には此港既に開けて、諸國の商船出入せしものなる可し・・・」の記載がありました。
3.自館所蔵資料を「江波」のキーワードで検索したところ、以下の資料が見つかりました。
⑤『江波風土記〔1〕』 広島市立江波中学校生徒会社会科部/編 広島市立江波中学校PTA 1991年
p.118~124「江波港と番所」の項目がありました。
p.125「江波山」の解説に、
「これは、寛文三年(一六六三年)の黒川道祐著『芸備国郡志』・・・から「江波山」の項を転載したものである。・・・江波山は・・・多くの船が寄り集まり、芸州各地に通じる重要な港である。しかし、潮が満ちれば大船でも波に浮かび直接山岸に行けるが、干潮にもなると、小舟でも泥に粘り、行くことができない。・・・」の記載がありました。
p.211「神崎図」の掲載があり、解説に「・・・江波島、江波港が見える。」の記載がありました。
p.212「江波村図」の掲載がありました。
⑥『江波のうつりかわり 江波郷土史』 江波小学校/編 広島市立江波小学校 1968年
p.5~10「第二章 江波港」の項目がありました。
p.20~21「第四章 藩と江波との関係」の項目がありました。
⑦『神崎・舟入・江波郷土史』 舟入公民館郷土誌編集委員会/編 舟入公民館 1995年
p.4~11「江波中学校区の埋立の歩み」の項目がありました。
⑧『ふるさとひろしま 第12号』 ひろしま郷土史研究会/〔編〕 ひろしま郷土史研究会 1987年
p.39~53「うつりゆくふるさと(十二)江波」
p.41~43「江波港」に「広島城下町以前の江波島の住民は、農地が少なく漁業を主として、他と連絡の少ない平和な生活をしていたと思われる。・・・寛文以後の江波は、公用の関船、艜船(ひらた)、御荷物船と舟屋敷を常に備えていた。・・・「ひらた」というのは、当時として大船で、これが江波に輻湊した。江波港には城下に出入りする廻船や積荷の取締り番所が設けられた。この江波港の役人の支配は太田川添いの川港や、内海の浦々に及んだ。・・・」の記載がありました。
⑨『広島湾発展史』 長野 正孝/著 中央書店 1982年
p.53~56「四.貿易上の拠点-江波港」
p.55「1800年頃の江波港」の図の掲載がありました。
p.55~56「・・・この時代の広島周辺の物資の集散状況については、上流からの鉄・薪炭・木材は太田川を下り、塩・米・海産物は上り、これらの物産の集積は江波島で行われたと考えられる。文化八年(一八一一)に船入新開と江波島は橋で結ばれて、陸路車馬の往来が可能となり、外港として大船の入港を可能とし、活況を呈するに至った。・・・江戸末期になると江波島も次第に迫りくる土砂で埋没し、大型の回船は潮待をするなどの難儀が出はじめ・・・」の記載がありました。
以下の資料では確認できませんでした。
・『中世瀬戸内の流通と交流』 柴垣 勇夫/編 塙書房 2005年
・『広島藩の地域形成』 土井 作治/著 溪水社 2016年
・『中世西日本の流通と交通』 橋本 久和/編 市村 高男/編 高志書院 2004年
・『瀬戸内海地域史研究 第5輯』 瀬戸内海地域史研究会/編 文献出版 1994年
・『新修広島市史 第2巻』 広島市/編 広島 広島市役所 1958年
- 事前調査事項
- NDC
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- 中国地方 (217)
- 日本 (291)
- 海運 (683)
- 参考資料
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日本歴史地名大系 35. 平凡社, 1982.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005629736-00 , ISBN 4582490352 -
「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編纂. 角川日本地名大辞典 34 (広島県). 角川書店, 1987.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002010755-00 , ISBN 4040013409 -
広島市役所/編修. 新修広島市史 3. 広島市役所, 1959.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I053523308-00 -
広島市 編 , 広島市. 廣島市史 第一巻 複刻. 名著出版, 1972.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I069233265-00 -
広島市立江波中学校生徒会社会科部 編 , 広島市立江波中学校生徒会社会科部. 江波風土記 〔1〕. 広島市立江波中学校PTA, 1991.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I082437648-00 -
江波小学校 編 , 江波小学校. 江波のうつりかわり : 江波郷土史. 広島市立江波小学校, 1968.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I081992769-00 -
舟入公民館郷土誌編集委員会 編 , 舟入公民館郷土誌編集委員会. 神崎・舟入・江波郷土史. 舟入公民館, 1995.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I082513918-00 -
ひろしま郷土史研究会 〔編〕 , ひろしま郷土史研究会. ふるさとひろしま 第12号. ひろしま郷土史研究会, 1987.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I082399141-00 -
長野正孝 著 , 長野, 正孝. 広島湾発展史 : 地域活性化の根源を探る・歴史が語る未来の広島. 中央書店, 1982.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I082169179-00
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日本歴史地名大系 35. 平凡社, 1982.
- キーワード
-
- 江波
- 海運
- 艜船
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000237165