レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 1999/02/26
- 登録日時
- 2005/02/11 02:45
- 更新日時
- 2010/01/05 16:19
- 管理番号
- 埼熊-1998-088
- 質問
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未解決
昭和18年に熊谷から秩父線に乗って疎開したときの小学校を探している。カンダ小学校という。秩父郡内は一応探したけれど見つからない。県北、大里、秩父地域にないだろうか。
- 回答
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東京の神田国民学校の生徒が昭和19年から集団疎開で来たことはわかったが、質問の小学校が疎開受入先、疎開学校名のどちらかが判明せず。調査の経過を連絡する。
- 回答プロセス
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『埼玉県教育史 4 明治19-大正初期』p236 小学校一覧にカンダ小学校なし。カンダ小学校が疎開受入先、疎開学校名のどちらか。
①『埼玉県教育史 5 大正-終戦』p292 昭和19.6.30「学童疎開促進要綱」閣議決定される、同書p294に学童集団疎開の受入(昭和19以降)の記述あり。
②『新編埼玉県史 通史編6』p1055 集団疎開の受入状況として受入施設、疎開国民学校、人数、疎開期間の記録あり。
①②とも東京の神田国民学校の生徒が昭和19年から集団疎開で大里郡の寺などに来た記述あり。
『秩父の教育百年』には記述なし。
『最後の学童疎開』巻末の「集団疎開学童県別区別表」には、埼玉へは神田、日本橋、京橋から来ていることがわかる。
以上を連絡する。
- 事前調査事項
- NDC
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- 幼児.初等.中等教育 (376 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 学童疎開
- 国民学校-昭和時代
- 太平洋戦争
- 埼玉県-教育-歴史
- 郷土資料
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000018202