レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年07月26日
- 登録日時
- 2012/07/27 02:06
- 更新日時
- 2014/09/02 00:30
- 管理番号
- 10-3A-201207-14
- 質問
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解決
大阪の相場師・石井定七について
- 回答
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石井定七は大正時代、堂島米穀取引所の大手筋として、米の大買い占めなどで話題をまいた人物で、その隆盛期には、世間から「横掘将軍」と呼ばれ、また破産後は「借金王」ともいわれた。
『大阪商人太平記 大正篇 上』(宮本 又次/著 創元社,1964)p.190、p.204-211
『上方商法 : 大阪商人の土性骨』(藤本 光城/著 光文社,1958.12)p.198-204
には、そのおいたち、 相場師としての活躍など、全般的な面にわたって、しるされている。
また
『日本買占史』(南波礼吉 春陽堂,1930)p.188-193
には、「石井の大受米」として、米の買占めに関する記述があり
『大株五十年史』(大阪株式取引所/編 大阪株式取引所,1928.11)p.84-85
では、鐘新株買占事件について書かれている。
その他
田中喜三治「堂島仕手の想出」『上方 : 郷土研究 第103~108号』 1939年9月105号
戸川巌「堂島取引所の三騒動」『上方 : 郷土研究 第103~108号』 1939年9月105号
『明治大正大阪市史 第3巻 経済篇 中』(大阪市役所/編纂 日本評論社,1934)p.606
などにも、世間を騒がせた大正10年からの米の大買い占めについて触れている。
2012.8.8情報追加
商用データベース「Japan Knowledge(ジャパンナレッジ)」(事典・辞書等)をキーワード”石井定七”で検索。
『国史大辞典』に【石井定七事件】の項があり、「石井定七の思惑失敗により、大正十一年(一九二二)春に発生した金融不安」として説明あり。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 金融.銀行.信託 (338 9版)
- 参考資料
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- 『大阪商人太平記 大正篇 上』 宮本 又次/著 創元社,1964<当館書誌ID:0070105893>
- 『上方商法 : 大阪商人の土性骨』 藤本 光城/著 光文社,1958.12<当館書誌ID:0080260571>
- 『日本買占史』南波礼吉 春陽堂,1930
- 『大株五十年史』大阪株式取引所/編 大阪株式取引所,1928.11<当館書誌ID:0080190203>
- 田中喜三治「堂島仕手の想出」『上方 : 郷土研究 第103~108号』 1939年9月105号<当館書誌ID:0080254388>
- 戸川巌「堂島取引所の三騒動」『上方 : 郷土研究 第103~108号』 1939年9月105号<当館書誌ID:0080254388>
- 『明治大正大阪市史 第3巻 経済篇 中』大阪市役所/編纂 日本評論社,1934<当館書誌ID:0070004821>
- 商用データベース「Japan Knowledge(ジャパンナレッジ)」(事典・辞書等)
- キーワード
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- 大阪府大阪市
- 相場師
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 『昭和42年 大阪市立中央図書館 調査相談の記録5』より作成
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000109354