レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2005/10/06
- 登録日時
- 2006/07/28 02:11
- 更新日時
- 2013/02/01 13:46
- 管理番号
- 埼浦-2006-043
- 質問
-
未解決
明治はじめごろ、埼玉県内に設立された盲学校と渋沢栄一の関わりについてと、その盲学校と現県立盲学校(川越市)とのつながりを知りたい。
- 回答
-
明治16年4月、明心会導盲院(入間郡入間村-現狭山市)が開校。明治43年、私立埼玉和協会訓盲学校(県立盲学校の前身)が開校。両学校と渋沢栄一との関係、明心会導盲院と私立埼玉和協会訓盲学校との関係は、ともに不明。
- 回答プロセス
-
『埼玉県教育史 4』p393に「明治16年4月、杉山猛雄が開校した明心会導盲院(入間郡入間村 現狭山市)」の記述があるが、渋沢栄一の記述なし。次に明治43年、石井愚鑑らが設立した私立埼玉和協会訓盲学校(県立盲学校の前身)の記述があるが、やはり渋沢栄一の記述なし。明心会導盲院と私立埼玉和協会訓盲学校とのつながりの記述もなし。
『新編埼玉県史』『わたしの町の盲学校-川越の埼玉盲学校90年のあゆみ』『埼玉盲学校年報 大正5年』『特殊教育百年記念誌さくら草』等の資料にも該当する記述なし。
『渋沢栄一事業別年譜』には盲教育の全国的な組織の式典や東京の盲学校の卒業式に出席した記録あり。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 障害児教育[特別支援教育] (378 9版)
- 個人伝記 (289 9版)
- 教育史.事情 (372 9版)
- 参考資料
-
- 『埼玉県教育史 4』(埼玉県教育委員会 1971)
- キーワード
-
- 障害児教育-教育史
- 渋沢 栄一(シブサワ エイイチ)
- 盲学校-埼玉県
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000029742