レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015/12/12
- 登録日時
- 2016/03/07 00:30
- 更新日時
- 2016/03/07 00:30
- 管理番号
- 北方 15-0023
- 質問
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解決
新聞「北海タイムス」の1928年(昭和3年)5月15日~5月31日の期間に次の記事があるか知りたい。
「アメリカのスパイ帰る」
「スパイ」とは、ジョージ・P・ピアソンを指しているとのこと
ピアソンが日本を発った時期は、次の資料から確認済み。
『日本 北海道 明治四十一年』(ピアソン/著 北原俊之/訳 ピアソン会 2009)
p.95に、昭和3年5月20日に小樽で送別会を開いたことが分かる。
出典は不明だが、上記の記事が新聞に掲載された旨の記述があったらしい。
ただし、資料に具体的な新聞名は挙げられてなかったので、「北海タイムス」に確実に載っているのかは分からない。
なお、調査の過程でピアソンに関する記事があれば、併せて知りたい。
また、『三浦綾子全集 第2巻』(三浦綾子/著 主婦の友社 1991)所収の「塩狩峠」に、長野政雄がピアソンに関する投書をした旨の記述があるが(p.214上段)、「いつ投書したのか」「どの新聞社に投書をしたのか」「投書の内容が新聞に掲載されたのか」情報があれば知りたい。
上記資料に投書の時期は「日露戦争前後の頃のことである」とあるが(p.214上段)、より具体的に記載のある資料があれば知りたい。
- 回答
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ピアソン夫妻が帰国の途に着いたのは、昭和3年4月15日であり、各地で送別会が行われている。(回答資料1)
北海タイムス昭和3年4月~5月のマイクロにて調査したが、該当の記事は確認できず。
『田舎伝道者ピアソン宣教師夫妻』(回答資料2)のp138に小樽で送別会を開いた折、「北海道の一地方新聞はスパイ退去と大きく報道した」とあり。
ピアソン記念館(北見市 NPO法人)に照会。
伊藤理事によると、この新聞名については小池氏もよく覚えていなかったとのことであり、特定の新聞名についてはピアソン会も現時点で不明とのこと。
『旭川六条教会創立100周年記念誌』(回答資料3)、『塩狩峠、愛と死の記録』(回答資料4)には長野政雄氏の追悼会の談として、明治36年に新聞に投書したと同じ内容の記載あり。
新聞社名、実際の記事等についての記述は不明。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 7版)
- 参考資料
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- 1 ピアソン物語 佐藤 全∥[著] ピアソン会 1999.6 289/PIE
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2 田舎伝道者ピアソン宣教師夫妻 小池 創造∥著 北見教会出版 1967 289/PIE -
3 旭川六条教会創立100周年記念誌 旭川六条教会創立100周年記念事業委員会∥編 日本キリスト教団旭川六条教会 2003.5 198.5/A -
4 塩狩峠、愛と死の記録 中島 啓幸∥著 いのちのことば社フォレストブックス 2007.7 289/NA
- キーワード
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- Pierson George Peck(ピアソン ジョージペック)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事項調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000188970