阿利孝太郎の人物について確認
資料1によると、小笠原島は明治13年(1880)に内務省から東京府に移管され、明治19年(1886)に小笠原島庁と改称。初代島司は立木兼善。阿利孝太郎は7代目で明治29年10月~大正5年3月に在任している。
小笠原に関する図書、雑誌を調査
資料2:第13章「最近の事蹟」(p.234-278)では、明治30年から37年までの行政上の出来事が年表形式で記述されている。またこの章では、阿利島司が明治30年4月に府知事に提出した意見書「東京府小笠原島庁事務改良意見」(p.239-240)の全文が掲載されている。
○「小笠原の碑文(一)」長谷川馨著(『東京都立小笠原高等学校研究紀要』第3号 1989.3)(資料4)
小笠原父島にある碑石を調査し、碑文、碑文の解釈、解説など記したもの。中に、「小笠原島島司阿利君紀功碑」(p.153~157)が掲載されている。碑文及び碑文の訓み下し文、通釈、解説等が掲載されており、通釈、解説では阿利氏の出身、経歴、業績等が記されている。
○「小笠原の碑文(二)」長谷川馨著(『東京都立小笠原高等学校研究紀要』第4号 1990.3)(資料5)
前記「小笠原の碑文(一)」の続編、補遺。
「阿利島司紀功碑について」(p.253~250)という項目があり、阿利島司の功績、人物について、疑問を投げかけており、その中で『武侠世界』の糾弾記事や、北川酉之助の『小笠原島略誌』の記事を引用し、考察している。
[明治・大正・昭和の読売新聞](CD-ROM)を、キーワード<阿利孝太郎>で検索したところ、大正5年に勲四等旭日小授章を受章していることがわかったため、叙勲関係の資料を調査。
資料3:「従四位勲四等阿利孝太郎勲章加授ノ件」(p.579~580)として、内務大臣一木喜徳郎の裁可書が収録されている。生年や出身、島司としての功績等の記述あり。