レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015/08/24
- 登録日時
- 2015/11/29 00:30
- 更新日時
- 2015/12/05 16:53
- 管理番号
- 0000001316
- 質問
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解決
安政5年、越中、加賀、越前で起こった大地震と土砂災害の被害が記された、詳細な資料はないか。
- 回答
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・『石川県災異誌』安政5(1858)に「2.26(3.13) 地震 金沢左程に無之、上は大聖寺より越前地、下は越中、飛騨、今石動強く、富山辺土蔵計も、300許損じ、且上にては大聖寺町方等 100軒余、半潰土蔵等50許、越前地は金津丸岡強く、200軒許潰れ、土蔵70許損ず、加州に手は向粟崎60軒許潰家有之、此辺迄強し、尤も右強き処はお城などもご破損多く、下信州辺も金沢辺位の地震の由〔御家老方等手留〕」以下、「青地日記」「上賃屋日家栄帳」「町野正顧寺文書」「本邦大地震概説」「応響雑記」「験震時報・武者」の記録が記載されていました。備考には「地震等級2、飛騨にて潰家711、死者209、山崩れによる水害あり(2元地震、第一元は飛騨の北部を略東西に走る線、第2元は丸岡付近)」とありました。
・『地震の記憶 安政五年大震大水災記』はしがきに、「安政5年(1858)2月26日(現行暦4月9日)未明、突如推定マグニチュード7前後の地震が越中・飛騨を遅い、大地は裂け、随所で水・砂を噴出した。被害は加賀、越前にも及び、家は崩れ、蔵は潰れ、橋も落ちた。跡津川断層の活動によるものという。(中略)さらに翌日の4月26日、第2回の山突波が追い討ちをかけ、加賀・富山両藩領の田畑を荒廃させた。『大鳶崩れ』の名で恐怖され、人々の間に言い継ぎ、語り継がれてきた。」とあります。こちらは越中の大震災の古記録の解読、解説が収録され、読みやすい資料ですが、原本の収録はほとんどありません。
・『新収日本地震史料 第5巻 別巻4』に古記録を活字にしたものが収録されていました。
・『加越能文庫解説目録 下巻』に、金沢市立玉川図書館近世史料館の所蔵する、地震に関する史料が紹介されていました。
・文政10年(1827)~安政6年(1859)氷見の町役人で蔵宿業を営む田中屋権右衛門の日記『應響雑記』如月25日に、「夜9ツ半頃大地震長クゆるき打驚起出候得とも、格別損シ候躰も無之雨戸1枚はつれ申躰指續キ折々小地震ゆりき申候」とあり、火事装束で与力を案内しながら町廻したことが記録されていました。以下水無月までの日記に、金沢や滑川、小杉、高岡の地震の被害の風聞や、安否を気遣い人を遣った事など、実感がこもった記録が散見されました。
特に若葉月29日の日記に「2月25日夜地震にて立山大崩れ、峯倒れ谷埋まり大水淀ミ富山邊等日夜心労甚しく候4月10日8ツ頃出水村数等大破小損、其後不安心ニ候ヘ共此頃ニ至り安堵の思ひにて油断の所、當26日昼8ツ頃又々出水常願川等大水、富山等其外田畑村数大小破損の由承り申候。(後略)」と甚大な被害が書き留められていました。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (21 9版)
- 参考資料
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- 1 石川県災異誌 石川県農林部∥共編 金沢地方気象台∥共編 気象協会金沢支部 1961 K209.07/15 73p
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2 地震の記憶 安政五年大震大水災記 広瀬/誠?著 桂書房 2000.2 K209.07/1001 -
3 新収日本地震史料 第5巻 別巻4 東京大学地震研究所∥編 東京大学地震研究所 1986.1 453.2/20/5-B-4 -
4 加越能文庫解説目録 下巻 金沢市立図書館∥編 金沢市立図書館 1981.3 K025/15/2 375p -
5 應響雑記 下 天保15年?安政6年 児島 清文∥編 伏脇 紀夫∥編 桂書房 1990.6 K230/12/8
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000184642