レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年06月20日
- 登録日時
- 2016/02/24 12:22
- 更新日時
- 2016/05/18 14:59
- 管理番号
- 埼久-2015-144
- 質問
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解決
加須市周辺(大利根町、北川辺町、古河市など)における切支丹弾圧(1650-1850年)について書かれている資料が見たい。
- 回答
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加須市と切支丹弾圧に関連する資料は見られなかったが、加須市近隣地域の切支丹に関する記述のある資料を紹介した。
1 北川辺・古河・羽生について記述がある資料
『古河藩領とその周辺の隠切支丹』(川島恂二著 日本図書刊行会 1986)
p63「それで柏戸村に潜入していた切支丹の徒について考えてみる。」とあり、「古河市一丁目飯田家の御所日記」中の記述「寛永七年七月十八日より二十日迄大水。此時川辺村人死す(柏戸のこと)」などがキリシタン処刑を記録したものではないかとの筆者の推測あり。(柏戸村は現在の加須市・旧北川辺町)
『羽生市史 上巻』(羽生市史編集委員会編 羽生市 1971)
p411-412 正徳5年羽生領上川又村「五人組御仕置一札」に「切支丹」あり。
p412-421「宗門人別帳」に市内現存の宗門人別帳(下新郷、羽生町場、下村君村)(1697-1852)史料掲載あり。
中村守著「古河の隠れキリシタンを訪ねて」(『岩槻史林 23』p39-40 岩槻地方史研究会 1995.4)
古河や北川辺周辺のキリシタンに関わる史跡を訪ねた例会の記録。墓などの記述あり。
『埼玉研究 第21-25号』(埼玉県地域研究会編 1973)
p13-21 秋葉一男「埼玉県内における古切支丹類族について」
柳生村(古河藩領、旧北川辺町)について、「古河志」を元にした記述中心。
『新編埼玉県史 通史編 3』(埼玉県編 埼玉県 1988)
p835 「二 県内のキリシタン」の項内に柳生村(北川辺町)の記述あり。
『日本キリスト教歴史大事典』(日本キリスト教歴史大事典編集委員会編集 教文館 1988)
p554-555 『新編埼玉県史』と同様の記述。
『埼玉大百科事典 2』(埼玉新聞社 1974)
p100-101〈切支丹類族調べ〉に渡瀬村、柳生、越谷について記述あり。
2 渡瀬(児玉)中心に記述がある資料
《国会図書館デジタルコレクション》
須藤忠夫著「神川町渡瀬の「隠れキリシタン」伝承の疑問と伝キリシタンの墓の謎の解明」(「立正大学地域研究センター年報 22」立正大学地域研究センター年報編集室 1999.1)
33-37コマ 質問に関する記述あり。
(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1754732 国会図書館)国立国会図書館/図書館送信参加館内公開
『武州物語』(読売新聞社浦和支局編 読売新聞社浦和支局 1966)
p106-111 渡瀬、岩槻藩内の事件について記述あり。
『坂東キリシタン類族帳の研究』(矢島浩著 むさしの書房 1978)
p51-「渡瀬キリシタン類族帳」に享保二十年(1735年)児玉郡渡瀬村のキリシタン類族の死者・存命者の記録あり。
『武蔵国のキリシタン』(矢島浩 1969)
p5「五 渡瀬のキリシタン」に「訴人によって幕府の役人に捕らえられた上、キリシタン達は善明寺裏の神流川河原に引き出され、全員打首の刑に処せられた上、善明寺は取壊されたと伝えられています」とあり。
『埼玉県のキリシタン史 キリシタンの遺物を中心に』(矢島浩 出版年・出版社不明)
p4「渡瀬のキリシタン墓塔」に「類族帳によると、明暦2年渡瀬の掃部・次郎右衛門・久右衛門・すわ・平左衛門・新右衛門の6名が、キリシタンとして捕らえられて、江戸に送られてから、それぞれ其の地で牢死している」とあり。
『山里の殉教者たち 武州渡瀬村隠れキリシタン』(北沢文武著 さきたま出版会 1994)
大村進著「近世埼玉のあゆみ 隠れ切支丹」(『埼玉自治(305)』p59-64 埼玉県自治研究会 1976.1)
岩槻、川口市芝、渡瀬についての記述。川越、忍、秩父、越谷、柳生については地名程度の記述のみ。
稲村坦元、金鑽宮守著「埼玉に於ける切支丹宗徒の潜伏」(『埼玉史談 7』p227-238 埼玉県郷土文化会編 国書刊行会 1973)
岩槻、忍、川越、特に渡瀬についての記述あり。
矢島浩著「武蔵国渡瀬のキリシタン史 キリシタン墓地を中心に」(『埼玉史談 14-3(132)』p35-37 埼玉県郷土文化会 1967.11)
桜澤重利著「児玉郡渡瀬村の古切支丹事件新資料」(『埼玉地方史(14)』p54 埼玉県地方史研究会 1983.4)
- 回答プロセス
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加須市周辺以外の土地の記述のある資料
『潜伏キリシタンの研究 芝塚越のマリア観音を中心に』(矢島浩著 矢島浩 1965)
川口市社会教育課「川口市芝の切支丹関係史料」(『埼玉史談 4-4』p37-39 埼玉県郷土文化会 1958.2)
沼口信一著「寒松稿、寒松日記よりみた元和切支丹事件と、その余燼(1)」(『埼玉史談 27-1(181)』p1-11 埼玉県郷土文化会 1980.1)
沼口信一著「寒松稿、寒松日記よりみた元和切支丹事件と、その余燼(2)」(『埼玉史談 27-2(182)』p5-21 埼玉県郷土文化会 1980.7)
沼口信一著「寒松稿、寒松日記よりみた元和切支丹事件と、その余燼の訂正と補足」(『埼玉史談 29-4(192)』p41-45 埼玉県郷土文化会 1983.1)
川口市芝の事件を「寒松稿」「寒松日記」より研究した内容あり。
井桁薫著「芝村のキリシタン」(『ふるさとわらび 15』p84-87 蕨郷土史研究会 1985.12)
井桁薫著「芝村のキリシタン(その2)」(『ふるさとわらび 16』p67-78 蕨郷土史研究会 1986.12)
井桁薫著「芝村のキリシタン(その三)」(『ふるさとわらび 17』p58-66 蕨郷土史研究会 1987.12)
榛葉毅著「随想キリシタン・ルヒーナお夏のこと」(『川口史林 76』p12-19 川口市郷土史会 2011.3)
中村守著「岩槻のキリシタン」(『岩槻史林 21・22』p27-32 岩槻地方史研究会 1994.3)
細見大観著「キリシタン禁制頃の寺の古文書」(『熊谷市郷土文化会誌 45』p85-88 熊谷市郷土文化会 1990.11)
幡羅郡(現在の熊谷市・深谷市周辺)の「宗門人別改帳」についての記述あり。
田子秋義著「キリシタン弾圧考」(『熊谷市郷土文化会誌 45』p12-13 熊谷市郷土文化会 1990.11)
浄泉寺(熊谷市下川上)に残る文書についての記述あり。
ウェブサイトの最終アクセス日は2015年6月20日。
- 事前調査事項
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『関東平野の隠れキリシタン』(川島恂二著 さきたま出版会 1998)
- NDC
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- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 各教派.教会史 (198 9版)
- キリスト教 (190 9版)
- 参考資料
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- 『古河藩領とその周辺の隠切支丹』(川島恂二著 日本図書刊行会 1986) , ISBN 4-89607-932-9
- 『羽生市史 上巻』(羽生市史編集委員会編 羽生市 1971)
- 『岩槻史林 23』(p39-40 岩槻地方史研究会 1995.4)
- 『埼玉研究 第21-25号』(埼玉県地域研究会編 1973)
- 『新編埼玉県史 通史編 3』(埼玉県編 埼玉県 1988)
- 『日本キリスト教歴史大事典』(日本キリスト教歴史大事典編集委員会編集 教文館 1988) , ISBN 4-7642-4005-X
- 『埼玉大百科事典 2』(埼玉新聞社 1974)
- 「立正大学地域研究センター年報 22」(立正大学地域研究センター年報編集室 1999.1)
- 『武州物語』(読売新聞社浦和支局編 読売新聞社浦和支局 1966)
- 『坂東キリシタン類族帳の研究』(矢島浩著 むさしの書房 1978)
- 『武蔵国のキリシタン』(矢島浩 1969)
- 『埼玉県のキリシタン史 キリシタンの遺物を中心に』(矢島浩)
- 『山里の殉教者たち 武州渡瀬村隠れキリシタン』(北沢文武著 さきたま出版会 1994) , ISBN 4-87891-054-2
- 『埼玉自治(305)』(p59-64 埼玉県自治研究会 1976.1)
- 『埼玉史談 7』(p227-238 埼玉県郷土文化会編 国書刊行会 1973)
- 『埼玉史談 14-3(132)』(p35-37 埼玉県郷土文化会 1967.11)
- 『埼玉地方史(14)』(p54 埼玉県地方史研究会 1983.4)
- キーワード
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- かくれ切支丹
- 加須市-歴史
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000188485