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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000187446
提供館
(Library)
埼玉県立久喜図書館 (2110009)管理番号
(Control number)
埼熊-2015-118
事例作成日
(Creation date)
2015/05/15登録日時
(Registration date)
2016年01月22日 09時59分更新日時
(Last update)
2016年03月15日 14時50分
質問
(Question)
奄美大島の大笠利教会にあった「アンジェラス(アンゼラス)の鐘」が、戦争中に浦和教会に避難させられていたということについて知りたい。
回答
(Answer)
戦争中に浦和教会に避難させられていたという記述は見つからなかった。
ただし関連する記述として、1934年から奄美大島での教会施設の焼き討ちが激しくなり、大笠利教会も1937年に放火され全焼、その際にアンジェラスの鐘も紛失するが、その後人々の手を渡り、最終的に宮崎県の都成仲二氏宅に保管されていた鐘が、戦後、浦和教会に据え付けられ、1984年12月に再び大笠利教会に返されることとなったという旨の記述は見つかった。
以下の資料・インターネット情報を紹介した。

『北関東のカトリック』(カトリック浦和教区史誌編集委員会編 カトリック浦和教区事務所 1990)
 p158に「一九三四(昭和九)年から激しくなった旧陸・海軍の圧力と奄美群島を中心にした宣教師の追放、教会施設の焼き討ちなどが、宣教師の鹿児島からの引き揚げを余儀なくした。」あり。この記述の前後を見るが、大笠利教会のアンジェラスの鐘についての記述は見つからず。
戦後について書かれた部分も確認するが、奄美への「里帰り」についての記述も見つからず。

《カトリックさいたま教区》( http://www.saitama-kyoku.net/our_activitis/past_events/2010/index.cgi?mode=main&cno=115  カトリックさいたま教区 2015/05/15最終確認)
「大笠利教会は、1937年に放火され、全焼。教会の「アンジェラスの鐘」も姿を消す。その鐘が、人々の手を通して宮崎から浦和へ。」
「1984年 12月 2日、浦和教会は、島本要司教、主任神父ローランド神父、内山神父、押川神父による共同ミサをささげ、30年余親しんできた「アンジェラスの鐘」に別れを告げ、奄美・大笠利教会へ送り出した。」
※上記サイト参考文献と思われるもの
「カトリック奄美100年:奄美福音宣教100周年記念誌」(奄美宣教100周年実行委員会 1992)未所蔵のため確認できず。

《カトリック高崎教会》( http://www2.wind.ne.jp/catholictakasaki/ayumi/ayumi173.htm  カトリック高崎教会 2015/05/15最終確認)
「奄美・大笠利教会の鐘」(「教会季刊紙 あゆみ」第173号 2010年被昇天祭号)
「奄美とさいたま教区を結ぶ象徴的なしるしが、一個の鐘である。浦和に聖堂ができるに当たって、1935年頃焼失と供出の難をのがれて、宮崎県の都成仲二氏宅に保管されていたものが、戦後据え付けられ、以来現在の浦和教会ができるまでの40年近く、近隣にアンジェラスを告げることとなった。」
「この鐘は1984年12月本田仁義氏のお世話で元の大笠利教会に返されることとなり、島本司教等立会ののもとで、盛大な返還式が行われた。」
回答プロセス
(Answering process)
1 調査指定資料の調査
『アンジェラスの鐘』(松本旭著 本阿弥書店 1986)
 p33-36に「アンジェラスの鐘」は収録されているが、天草切支丹館や先津天主堂についての記述である。
『にっぽん島の旅 4 九州の島々』(中央公論社 1984)
 奄美大島に関する記述はなし。
 p109-116「入江を渡る天主堂の鐘の音-天草諸島・甑島」には天草・崎津の天主堂についての記述あるが、鐘については記述なし。
 奄美大島は同シリーズの『にっぽん島の旅 5 沖縄・薩南の島々』に収録されている。
『にっぽん島の旅 5 沖縄・薩南の島々』(中央公論社 1984)を確認するが、奄美大島の項に大笠利教会のアンジェラスの鐘についての記述はなし。
『北関東のカトリック』(前掲回答資料)

2 《Googleブックス》( https://books.google.co.jp/  Google 2015/05/09最終確認)を〈笠利 & 教会 & 鐘〉で検索する。
『南島におけるキリスト教の受容 南島文化叢書 6』(安斎伸著 第一書房 1984)
 p22「教会に鐘をつけて村落の中に時刻を知らせ、宣教も熱心に行い、一九二三年の笠利の信者数は大島全島の信者数四,〇五七名に対して六三六名を占めていたといわれる。」とあるのみ。

3 《Google》( https://www.google.co.jp/  Google 2015/05/15最終確認)を〈浦和教会 & 鐘〉で検索する。
《カトリックさいたま教区》(前掲情報)
《カトリック高崎教会》(前掲情報)

その他調査済み資料
『鹿児島県史 5下』(鹿児島県編 鹿児島県 1980)
『奄美戦後史 揺れる奄美、変容の諸相』(鹿児島県地方自治研究所編 南方新社 2005)
『奄美の歴史入門 奄美子たちに贈る』(麓純雄著 南方新社 2011)
『吾が信仰 わが生涯』(日本基督教会南浦和教会 1984)
『浦和諸聖徒教会100年誌』(浦和諸聖徒教会 2007)
『埼玉の夜明け 復刊第1号-第3号』(日本キリスト教団関東教区埼玉地区社会委員会)
『新編埼玉県史 通史編 7 現代』(埼玉県 1991)
『新編埼玉県史 別編 1 民俗』(埼玉県 1988)
『新編埼玉県史 別編 2 民俗』(埼玉県 1986)
『浦和市史 通史編 4』(浦和市 2001)
『浦和市史 民俗編』(浦和市 1980)
事前調査事項
(Preliminary research)
「聖堂の日の丸 奄美カトリック迫害と天皇教」(宮下正昭著 南方新社 1999)
 p291-292 「アンゼラスの鐘」は昭和五十九年(一九八四年)、笠利の信者らの要望で、埼玉の浦和教会から里帰りを果たす、という記述が8行程度ある。

「新しい旅だちのために」(フランシスコ会イエズスの聖心修道院カトリック北浦和教会 1992)
 p24 浦和教区五十年史 の中に
「一九三四年から激しくなった旧陸・海軍の圧力と奄美群島を中心にした宣教師の追放、教会施設の焼き討ちなどが、宣教師の鹿児島からの引き揚げを余儀なくした」とあり、このページが『北関東のカトリック』カトリック浦和教区史誌編集委員会/編 カトリック浦和教区事務所 1990.12 よりとなっている。

「主のみわざ 日本基督教会浦和教会の歴史」(日本基督教会浦和教会歴史編纂委員会編纂 日本基督教会浦和教会 1980) 
《埼玉新聞見出し検索システム》「アンジェラスの鐘」「アンゼラスの鐘」「浦和教会」で検索するがそれらしい記事なし
《聞蔵Ⅱ》 「アンジェラスの鐘」「アンゼラスの鐘」浦和に関する話はなし
《web-OYA》
NDC
各教派.教会史  (198 9版)
貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション  (090 9版)
参考資料
(Reference materials)
『北関東のカトリック』(カトリック浦和教区史誌編集委員会編 カトリック浦和教区事務所 1990)
キーワード
(Keywords)
カトリック教会-鹿児島県
カトリック教会-埼玉県-さいたま市
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
文献紹介
内容種別
(Type of subject)
郷土
質問者区分
(Category of questioner)
図書館
登録番号
(Registration number)
1000187446解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
未解決
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